強くなくていい 弱くない経営の仕方もあるのか

   今の世の山頭火も、やはり放浪する

山口県内にいることが随分と少なくなってきた。とにかく講演活動が増えた。それでも昨年度よりは少なくしてこの有り様。3週間に2回程度の依頼講演会。さらに、夢のみずうみ村主催の講演会が重なる。「足し算・引き算の介護」研修(全国21位か所)と、「大規模通所介護施設講習会」が10回あり、すでに何回かは終了している。

施設の現場に居て、利用者さんとワイワイガヤガヤすることが好きで始めた事業がとんでもないことになってしまった。現場にいないことが多いとはなんたることか。何のため、だれのための「夢のみずうみ村」なのか。自問自答しながら旅は続く。私の、全国講演行脚は「お金をかけた山頭火の放浪」とでも称されるか。ずいぶん私は放浪した。  

昨年、稚内の先、宗谷岬の隣の野寒布岬に立った。初冬の吹雪は案外と心地よかった。周辺にも、そこまでの道中にも、誰もいない先端の灯台。殺風景な原野。今ここで私が消えたら、誰も気づかない。頭の中に迷いの声。「このまま存在が不明になったら」。身震い。

同様な体験は沖縄でも起こった。石垣島で仕事。休養せよと、半強制的に、簡単に戻れない竹富島をスタッフが宿泊先に選んでくれた。南国の草木と石垣の間を歩く。全く人に出くわさない。道があるからジャングルではないが、うっそうとしている。ここでハブに噛まれても助けはない。スカイブルーの海に突き当たった。星の砂浜。砂粒が小さい。誰もいない。何もない。ただ海。素っ裸になって海に入る。浅いのに、流れが急で思わず沖に吸い込まれ流される。「ああこのまま南に流されていき、サメに食われるか」。やっとの思いで砂浜に戻る。遊泳禁止の立て札が目に入った。ここで私が消えていたら、捜索願が出て発見されるまでに何日かかるだろうと思った。身震い。

こうしたことを白状することは、決して、自分の後ろ向きの姿勢を見せるつもりではない。しかし、こういう漠然とした地に足がつかない感覚に昨今頻繁に襲われる。

  経営者としての能力を自問自答するしかあるまい

 「経営者はみんなそういう気持ちになりますよ」「トップの悲哀だ」、と札幌の社会福祉法人理事長は私につぶやいた。そうだ。私は多くの仲間、素敵な職員集団に支えられているのだ。先陣を切る立場とは、自問自答する立場なのだ。当たり前だ。そう諭された気がした。感謝。組織経営運営10年。徐々に重荷になってきたのだろうか。私は、どうも経営者の器ではないような気がする。

地に足をつけずに全国を飛び回っている間に、徐々に崩れ消え去っている自分自身があるのだろう。それは、人間と人間が交流する渦中に溢れる「泥」のようだと表現できる。人間はそういう泥ぼこりや、におい、感触を通して、自身の足の落ち着き場所を固めて仕事をするのだろう。マウンドに立つピッチャーが、投げ始める前に、マウンドの土をスパイクで蹴って、自分の足に合うように調整する。それに似ている。意識的に足固めを行うピッチャーように、無意識に自分の足に合うように「泥固め」をすることが必要なのだ。私は放浪することによって足場を固める時間と機会を失ってきたのかもしれない。反対に、放浪することによって、足場を固める意識を磨いているのかもしれない。

 私がいない夢のみずうみ村をスタッフはしっかり守っている。発展させてくれている。しかし、私自身はただ不安の中にある。「村」は私の足底になじまなくなってきつつある。悲しい事実である。私は何をするため、誰のために夢のみずうみ村を始めたのだったろう。

 今、関東で夢のみずうみ村をつくるべく奔走している。その渦中、夢のみずうみ村応援団長だと私が勝手に思いこんでいる内閣府のA氏にこっぴどく叱られた。札幌市内を走るタクシーの中で携帯にかかってきて、タクシーを降りても路上で20分程度話は続いた。

「お前一人で何をやっている」「勝手に奔走するな」。言葉は厳しく速射砲。全く反論できなかったし、そのつもりもハナからない。鼻水交じりの涙。私も夢のみずうみ村も、A氏の発想についていく覚悟は不変である。頭からすっぽり「私」は消えた。

しばし呆然とし、遅い昼飯を味噌バターコーンラーメンで済ませた。札幌ラーメン横丁「ひぐまラーメン」は7度目の訪問。人気の店でこれまでラーメンにありつけたのは4回だけ。待っている客が路上に溢れ、店に入れずラーメンにありつけたら好運という店である。食べたのは4勝3敗。今回で勝ち越した。ラーメンで少し気分は落ち着いた。

やがて、私の元に、電話やメールが殺到した。A氏が「藤原をなんとか支えろ」と関係者に檄を飛ばして結果であることはすぐに察しがついた。無性にうれしかった。見捨てられていないという実感。一人ではない。

関東での事業展開は、事前に情報(「夢のみずうみ村」ができる)が浦安市で公報されていたため、開設は明白。しかし、資金調達は立ち往生という現実に眠られぬ日がずいぶん重なっていた中でのA氏の檄であった。人間はおかしな動物だ。その日以来、少し眠ることができ始めた。具体的にはまだ資金調達の明かりは見えていそうで確定していない。しかし、安堵感がある。

 突然、A氏と酒を交わす機会が生まれた。久しぶりだ。あの激昂した中味にはまったく触れることなく時間は過ぎ、最後に強く握手して別れた。夢のみずうみ村は間違いなく全国に生まれ始める。そう、また実感した。

 地に足がつかない放浪ではあるが、しばらくは、関東の浦安辺りで、しばし、止まるであろう。少なくとも1年は拠点をそこにおいて、初心にもどって夢のみずうみ村をけん引したい。そのことに没頭せざるを得ない。夢のみずうみ村の命運がかかっているからだ。

 羽田からの帰りの機内で、これを書いている。ずいぶんと長いブログになった。私はもう、このブログにしか語りかけることができない。これを通じて多くの仲間や職員に語りかけよう。ありのままに。

みんなから見捨てられていないという実感が私を安堵させた。A氏と酒を交わしたこの日から私は夜ぐっすり眠れるようになってきた気がしている。

京都駅で北陸線「金沢行きサンダーバード」を待っている。0番ホームに風がいつもより多く、きつく、吹き去っていく。それが、案外心地いい。ああ今日も僕は生きている。

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