2008年(2年前)の年の暮、31日。 小規模多機能型居宅介護施設「夢ハウス仁井令(にいりょう)」のおせち料理を買い出しに、大混雑のスーパーに入った。いろいろ買っているうちに 魚コーナーの前で1匹の魚に目がとまる。大きいブリだ。
「わー、安い。4000円だ!」 思わず人をかき分け手を伸ばして、残りわずかなその魚をゲットした。大儲けした気分でウキウキした。日頃、丸ごと1匹、大きい魚を目にすることは少ない。スーパーではせいぜい半身だ。家庭では大きすぎて買うこともないと思う。
食品コーナーで、利用者さんの顔ぶれや、飲み込み能力を想像しながら、正月用の食品を台車いっぱいに買いこむ。それが実に楽しい時間なのである。おでんを作り置きしておくこと。ほかにも、おせち料理の用意をするために、31日恒例の買いこみ終了。いざレジに並んで待つ。
買いこんだブリ、おせちの数々、レジが終わった分から、段ボールに詰め込み、最後の集計をまうレジ係の声を聞く。2万円くらい買ったつもりでいた。
「53208円です」
「えーっ! ご・ごまん?! ・・・・・・。」
驚いた。なぜ、そんなに高いのだ?! 手持ち金があるか?」
レジには私の後ろに長い客の列。なんとか支払えた。よかった。
さっそく品物の値段チェック。あのレジの器械は壊れているとやや怒りにも似た気分も交じって、必死に品物と値段を見比べた。見つけた。
寒ブリ1本40000円也。ゼロを一つ見落としていたのだ。愕然。
その瞬間思わず笑いが込み上げてきた。一人で噴出す。こっけいだ。なんということだ。
利用者さんはきっとこれを食べたいのだ。暮だ。すてきなことだ。天然ものの寒ブリが丸まる1本出てきて、それを、利用者さんの目の前でさばく。それを、見ていただく。日頃、反応に乏しい方も、よくお話になる方も、皆さんに、魚を調理することを見ていただくだけでも「夢のみずうみ」らしくていいい。そう気づき、料金に納得して施設に帰る。
利用者さん5人のテーブルの前に寒ブリを置き、「自信がない」と言っていた職員が見事にさばく。じっとただ見ているだけの利用者さん。
「おおきいねえ」「りっぱなブリ」 さまざまな感想が漏れる。見ただけでも感激が生まれる。
活発な動きもなく、ほとんど会話もなく、目をつむった状態でじっとしておられる方が多い。地域密着型小規模多機能型居宅介護施設は、デイサービスと異なり、入所、訪問、通所という3つの機能を持った施設であるからこそ、やや重度の利用者さんも多くなる印象がある。
これまで、食事の時も、介助で、目を閉じたまま、唇の先での触感で口を開け、もぐもぐしておられた一人の男性。ブリの刺身を一切れ、介助で食べられた後、目をあけられて 「うまいのお」と、一言。日頃の食事風景も拝見したことがないし、この方の飲み込み能力も何も知らない私はただ感動。
さらに、「もうひとつ召し上がりますか」という職員の問いに「うん」と、はっきり聞き取れた。これまで、私は、その方の声を一度たりとも聞いたことがなかったし、意思を示される場面はまったく知らないし、とにかく無反応でいらっしゃった方だとお見受けしていただけに、ただただ驚いた。
「さしみがうまい」 たったそれだけのこと。しかし、眠っている感情、沈んだ気分、隠れていたおいしい味覚の記憶。いつもの自分とは違う様子が、ここで起こったのである。
2009年も寒ブリは登場した。年越し蕎麦は私が作る。揚げた「ごぼう天」を蕎麦に乗せて大好評を得た。小規模多機能型居宅介護施設「夢ハウスイ仁井令」では「寒ブリ」「年越しそば」「おでん」を恒例としたかった。2年続けば恒例といえるかなと決め込んでいる。
さて、今年。小規模多機能型居宅介護施設「夢ハウス湯田」が新設。寒ブリは2本必要。自宅のある萩市の「道の駅シーマート萩」に行き、生きのいい日本海萩沖の天然寒ブリを買う。
夢ハウス仁井令(防府市)は、管理者の中谷君が初めて包丁を握った。見事に3枚におろし、刺身を皿に並べてくれた。
Hさんは、日頃背もたれ椅子に深く体をもたれかけ腕を組んで目をつむり会話は無論なく、ただじっとしておられるだけ。ところが、「刺身刺激」は健在だった。
Hさんが、目を開けハシをとり、刺身に手を伸ばして、3切れも一度につまむ。醤油の小皿も、刺身は醤油をつけることも、きちんとわかっておられたのだ。たっぷり醤油をつけ、うまそうに、口に運ばれた。
「おいしいですか」 問う職員
「うまい」 の一声
この瞬間が見たくて、この声が聞きたくて 寒ブリを買ったのだ。
31日は忙しくなった。もうひとつ「夢ハウス湯田」がある。早く、こちらを済ませて行かなくてはならない。防府市から、山口市は35分くらい移動にかかる。雪が降ったりやんだりしているから、少しあわてる。
予定のおでんを作り、5時半からの夕食にあわせ、年越し蕎麦を9人前作る。今年は出汁にこだわった。 ようやく、今年新設した「夢ハウス湯田」に向かう。
こちらは、管理者の弘中さんが、自宅から刺身包丁を持ってきて、さばいてくれていた。すでに夕食は終わり紅白歌合戦が居間で始まっていた。
ここでも「刺身刺激」は爆発していた。「刺身」は、反応に乏しいMさんに、「うまいの発言」と「自ら手を伸ばす動作」をもたらしていたというのである。それに職員が驚いたというオマケ話がつくのである。日頃の様子とまったく違う利用者さんの反応。特別な日だ。年の暮れ31日。年越しの寒ブリ。
40000円は、まったく安い買い物であった。
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