現代版「山頭火」の訪ねる食べ物屋

山頭火は放浪の歌人だ。この10年間くらいの私は、まさにお金をかけて放浪する山頭火だ。飛行機、新幹線、レンタカーなどを利用し、ほぼ全国を巡った。まだ行ってなくて訪れたいと思っている場所は、下北半島、紀伊半島先端の潮岬、三宅島、礼文島、与論島ぐらいである。ずいぶん、周ったものだと、今、ANAの機内で、中部国際空港から、那覇に向かう機内の「翼の王国」を見ながら思う。気が付いたら「なじみの店」ができていた。そこに行くと必ず訪れる「食べ物屋」さんだ。いろいろあるが、とりあえず3か所を紹介したい。

白山市(石川県)に講演で出向かなくてはいけなかった。前日、小松空港から白山市に移動してホテルに泊まる主催者の誘いを断る。小松グランドホテル近くの日本料理屋「梶助」に行くからだ。北陸に出向く時は、「梶助」に行くと決めて宿をとる。そのいきさつは以前のこのブログに書いた。おそらく「梶助」に行くのは5回目ではなかろうか。

羽田発最終便で出向いたから夜10時過ぎ。目指す「梶助」の玄関に紙きれ発見。「予約客の方だけになっております」と。期待してわくわくしてやってきたのに、愕然。店をそっと覗く。全く偶然、幸運だった。若旦那、太郎さんがこっちを見ている。目が合った。私の顔を見つけて、さっと手を挙げ、おいでおいでをしてくれた。嬉しかった。入っていくと、二つある私の定席(と思っている)、カウンターの右端(もう一席はカウンターの左端)が空いていた。大将がいない。県から長年の功績で表彰されて夫婦で出かけているとのこと。一人で切り盛りしているから予約客優先、なじみと予約客OKという感じ。後からわかったのだが、息子、太郎さんが初めて、ひとりで店を切り盛りする日だった。

いつものように今日のおすすめをいただく。生の「いくら」が出た。赤く塩気があるものと思っていたが白い。昆布だしの中につけたものというが、「いくら」の真の味とはこれだと知らしめられた。海の匂いがして香ばしい。「いくら」のイメージが全く変わった。次に、3種類の蟹が小さく盛って出てきた。以前、札幌のカニ専門店で、たらふく食べ、「蟹の味」は知り尽くしたと思ったが大間違い。たらふく食べず、僅かだがしっかりとした味をじっくり味わうことを「梶助」で教えてもらった。こういう心境は、自分が老いた証拠だと実感しながら味わう。私の腹具合に応じていろいろ出る。それが快適なのだ。前々回、隣に座った客は2時間かけてここにいつもやって来ると言われるフランス料理店のコック長だった。「自分の舌を保つためにここに来ます」と言われた。料理とはそういうものであり、「梶助」はそういう「店」なのだ。今日は左カウンターに滋賀県から来たという4人ずれ。同業者のおもむき。「看護」「介護」という言葉が飛び交うからわかる。太郎さんが勧めてくれたので「天狗舞」という地酒を冷で頼む。2合瓶だそうだ。隣の方々に勧めればいいかと勝手に決めて注文。何年ぶりだろう、酒を自分で注文して飲むとは。中ジョッキ生1杯、赤ワイングラス2杯が昨今の限界である。うまかった。おちょこで5杯。お隣さんに声をかけ注ぐ。すぐに仲良くなった。そこに大将ご夫妻が帰店。一気ににぎやかになった。11か月ぶりに「梶助」に来たのだが、いつも来ているような錯覚に陥る。なぜ、ここが和むか、自分で分かっている。料理がうまいことは当然だが、大将が私の親父に似ているのだ。ここに最初に偶然舞い込んだ時から感じていた。細い目、細長い顔(大将のほうが若干肥っておられる)、よく似ている。我が親父は口数が少なかったが、酔えば饒舌だった。私が年を重ねるにつれて親父がいろんな場面で浮かんでくる。だからだろうか「梶助」にきて、大将や太郎さんと、カウンターで向かい合う。心地いいのだ。帰りにご夫妻と太郎さん3人がそろって玄関先まで見送ってくださった。今度来る時は、萩焼の皿、徳利、お猪口を自前で持ってきて「梶助」におくことになった。楽しみだ。

 

沖縄、宜野湾市に「加藤食堂」がある。小柄な若奥様ママと、坊主頭だがまろやかな顔立ちのマスターのつくるソーセージや魚・肉料理が実にうまい。一番は、今日さっき食べてきた、ホタテとねぎのキッシュ、チーズのデリス・ド・ブルゴーニュがまずお勧めだ。ピザも手づくりでうまい。客席は24、5席程度。沖縄に来たら、沖縄料理と決めていた。同じ宜野湾にある沖縄料理「あしび島」の常連だった。以前、夢のみずうみ村の利用者さんが沖縄旅行に来られた時もここを借りきった。薬膳の汁物(名前をいつも忘れている)が必ず出てきた。これぞ、沖縄という雰囲気の店で女将にはよくしていただいた。そこを振り切っての常連となるほどの「加藤食堂」。最初は、琉球リハビリテーション学院の理事長、儀間君が「家の近くにいい店がある」と連れって行ってもらったのだ。以来、ほとんど毎月訪れるようになった。夢のみずうみ村で忙しいが、琉球リハビリテーション学院長の仕事にもついているからである。2回目に伺った時、遅れてくるメンバーから携帯を受け、店までの道案内をする場面となった。「ここの店の名はね、佐藤食堂だよ」と私が口走った。目の前でコップを洗っていた(?)ママが、そばに寄ってきて、間髪をいれず、「惜しい!」と一言。びっくりした。「このママさんの感性が素敵だ!」と。それが、僕がこの店に通い続ける原因になった。おそらく、普通の感性を持った人なら、店の名前を間違えているわけだから、「佐藤ではなく加藤食堂ですよ」と教えてくれる会話になるはずだ。「加藤食堂ですよ」と、正確な名前をそっと教えるのが通常だろう。それが、このママの口からとっさに出た言葉が「惜しい!」なのだ。こうした感性は天性のものだ。意識しては絶対にできない。そういう人が私は好きだ。この「瞬間しびれた話」を、何度も何度もここに連れてくるメンバー達に話をする。その度に、小顔のママの顔がゆるむ。微笑みながら、実に忙しく店を左右に走り回る。ご主人と二人で切り盛りしながら、客は予約電話を入れないと席の確保が難しいほど盛況なのだ。こうした感性を持っている人間が身近に欲しいといつも願う。そうは簡単ではない。このエピソードを店で赤ワインを飲みながら、学院の理事や職員にいつもくどいくらい語る。そうなってほしいと願うからだ。カウンターの中で料理を作って忙しいご主人もいつもニコニコ、ママも微笑む。この間合いが実に奇妙でもあり素敵だ。国際通りの高良レコード店で、いつものラジオ沖縄の番組で使うレコードを選び、ちっかうのコーヒー店でこの一文を推稿している。今日から沖縄2泊。今夜行こうかな。

 釧路の「幣舞(ぬさまい)橋」の先、釧路川河口に「岸壁炉端」がある。4度しかそこに行っていないが、天気予報で「釧路」が画面に出でるたびに思い出す。最初に行ったときは、冬だった。岸壁に、サンマ船が横付けされ、波音できしんでいた。その脇に、周囲を厚い透明ビニールで囲んだ細長い空間。長椅子に座ると膝のあたりに網がくる高さの囲炉裏が30近くも並べられ、4人から6人くらいが1つの炉を囲む。大きな網が炉の上にかぶされており、そこに、自分の好きな海産物を買ってのせて焼く。金券を買い、北海の海産物をずらり並べた店8店舗(?)が数珠つながりに細長く並び、客は好きな店で食べたいものを買う。さんま、ホッケ、ジャガイモ、カニ、何でも焼く。一人の私は、どなたかの網のそばに座る。たくさん焼いている脇に買ってきたものをのせて焼き始める。隣に座った若い二人連れは全く無関係に喋り捲っているし、真向いのおっさんたちも、酔って大声を出しているが、何も気にならない。私が間違えて、お隣さんのジャガイモを食べてしまった。「さんま」と物々交換。酔狂だ。札幌生ビールが、冬でもうまかった。秋口と夏場にも行ったが、ここは冬に限ると思っている。夏場は、ビニールも船もなかった。するとここは今一つだ。淋しくなれないのだ。ここに一人来て、岸壁脇の、この囲炉裏そばに腰かけホロ酔う。波間に漂うネオンを見ながら、持ってきたCDを聴きながら、何も考えないで酔う。淋しい。その淋しさに酔うためにここに来るのだ。いつのころからか、私は、こういう人ごみの中に紛れ込み、一人で「淋しさに親しむ」ことが好きになった。誰かとワイワイすればいいではないかといわれるかもしれない。それは付き合いであって、私の気が休まるというのとは違う。ひねくれ者なのだ。3回目に来た時確信した。4回目は利用者さんと来た。知床・釧路・根室と巡った第8回夢のみずうみ村旅行である。利用者さんは席に座っていただき、スタッフが店を走り回りながら、魚や、貝、ビール、ジャガイモなどなどを買って網にのせまわった。片麻痺があり、車椅子も利用する我々の一行30人は、縦横無尽に動き回った。それはそれで実に快活な「岸壁炉端」だった。

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