恐山に行くことには賛否両論があった。小さい子どもに、亡くなった家族肉親のことを想起すること自体、時期尚早ではないのか、という声。いや、3年過ぎた中で、現世とあの世との行き来できる恐山で、会いたい人に会って、自分自身のこれから先を見つめていくことが大事だ、という両論である。恐山にやってきた。素晴らしい天気。おどろ恐ろしいイメージは全くない。それは、この旅を提案し、資金作りも行っていただき、しかも昨夜から薬研温泉の宿舎に合流して泊まり、朝から随行してくれた笹原留似子さん(面影復元納棺師)の絶対的存在があったからだ。彼女が、恐山までのマイクロ車中で子どもたちに語る。
「恐山で守ってほしいこと、一つ目。大声を出さないこと、二つ目、走らないこと、3つめ、人の悪口を言わないこと」にはじまった心の持ち方の説明。三途の川の渡り方、大門をくぐる際の礼、手を清める清め水の正式の所作、石に名前を書いて、3つ以上重ね、祈りを込める儀式。子どもたちの中からリーダー2人を選定して、その2名を先頭に、他の方々に迷惑にならないように、隊列を作り、左側に寄って、でこぼこ道を上り下りしながら、地獄や極楽の話を聞きながら、おそらく、それぞれが、それなりに思いを湧きあげながら、静かに歩いて行った。「自分が会いたい人に会える場所」「会いたい人に会うためにここに来たこと」それを繰り返し、大事に語り、随所で、霊場の説明を丁寧に子どもたちにしてくれた笹原留似子さん。単に、霊場恐山の風景に浸るだけではなく、石ころひとつ、砂一つに意味を感じ入った子どもたち。極楽の泉(宇曽利湖)にたどり着いたところで、留似子さんが、「大声を出して、会いたい人の名前を呼ぼう」と言う。最初に彼女が大声で名を叫ぶ。同時に一斉に、各自、それぞれの名前を叫ぶ。私も親父と義弟(平井英俊)、その息子(祐太)の3人の名を叫ぶ。みずうみのそばに、入り口で手にした風車を立てる。風に吹かれて勢いよく回る。寝転んで空を見ながら、心を開く。弟が寄ってきた。親父は笑っていた。祐太もケラケラ笑っていた。涙が湧いてきた。ああ、ここは恐山なのだ。来てよかった。子どもたちも、それぞれが会いたい人物に会えたと思う。 入り口に戻ると薬師の湯という小屋のような硫黄の湯があった。そこに、子どもたちと入浴。熱い。無邪気だ。またここを訪れたいと思った。子どもたちの心の中に、しっかり刻まれた今日。何十年か先に、今日の日を感じる場面が訪れることになるだろうと、今、静かに思っている。
藤原茂プロフィール
1948年山口県萩市生まれ 作業療法士 NPO法人夢の湖舎理事、株式会社夢のみずうみ社相談役、琉球リハビリテーション学院長、日本作業療法士連盟相談役
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