子ども夢ハウス ディズニーへ

それは強行軍であった。出かける日(10月9日)に、小学校で学習発表会があると知ったのは、前々日ではなかったろうか。午後1時の出発予定が午後二時過ぎになった。この1時間が大問題である。初日の宿泊先、夢のみずうみ村浦安デイサービス到着時間が22時か23時になるからである。仕方なし。学校の門前で待ち受け、すぐに出発してはと提案したが、それはまずいらしい。いったん学校から帰ったことにしないといけないそうだ。ランドセル等の荷物は、子ども夢ハウスに置くことにした。
 さかのぼるが、私自身は、9月24日大槌を出てこの日まで、「出稼ぎ」で、各地を回っていた。盛岡、羽田、北九州市、新潟、奄美大島、北九州市、仙台、静岡、浦安、山形さくらんぼ東根、浦安、北上と、毎日宿泊先が異なる過密スケジュールの中、やっと9日の夜、仕事から解放され、定宿の北上のホテル近くの馴染みの居酒屋で、笹原留以子さん・相棒の菊池さんの3人で会食。おおつちの子ども達の話をしっかり、いっぱい話し込み、ようやく旅行気分になれた始末である。
子ども達には、「出稼ぎに行って稼いでくるよ。行ってきます」、「いってらっしゃい」に送られ出てくるのが常である。今回は、帰るなり直ちに折り返して子ども達を連れて出ていく。しかも、私の出稼ぎの中心地の一つ、夢のみずうみ村浦安デイサービスセンターである。
昨今は、こうした目まぐるしい日程が、当たり前のようになっている移動過多状況の日常で、目まぐるしいのは特段大変だとは思わなかったが、いよいよ明日、子ども達と一緒に旅ができるというワクワク感いっぱいの感覚に襲われたのがなんとも心地いい。このディズニーの小旅行は私のエネルギー源なのだろう。
 さて、すりきず公園(かの有名な、子ども夢ハウス下の手作り公園)につくと、親子連れですでに待っておられた。19人の子ども達と、私やスタッフの吉山君、横澤さん含め9人の大人、総勢28人である。東京世田谷からやってくる夢のみずうみ村のマイクロバスを待った。首都圏総合施設長の重責にある宮本士郎君(「さん」と呼ばなくてはいけない年齢だが、長年のわが右腕。ついつい「君」呼ばわりをさせてもらっている。すいません。あっ! 吉山君も「君呼ばわり」ですね。「さん」呼ばわりすると、二人とも遠くの存在に感じてしまう気がするのであしからず)。そうです。宮本君が世田谷から大槌まで、夢のみずうみ村山口のマイクロバス(これは世田谷の夢のみずうみ村新樹苑デイサービスに常駐しています)を運んでくれたのです。しかも、つくや否や、浦安に向けてまた旅出すのですから、彼の体力は驚愕の極みです。マイクロ一台の定員は23人ですので、夢車(夢のみずうみ村山口デイのワゴン車で、子ども夢ハウスおおつちで酷使しているワゴン車)8人乗りとの2台で出発です。
マイクロバスでは、クイズやゲーム・なぞなぞなど、飽きないようにプログラムを事前にスタッフ3人で相談準備し、景品の商品も、いつもの出稼ぎから帰る(千昌夫の歌う演歌「津軽平野」の歌詞:親父 いっぱい 土産ぶら下げてよ♪)で用意した土産商品を積み込む。

マイクロバスはいいなと、バンに乗った子からクレームが来るとまずいなあと、朝起き掛けにアイディアが浮かんだ。早速、10時を待って、ケーズ電気北上店へ。カラオケマイクを買うことを思いついたのだ。バンの方は、カラオケで行こう!カラオケで時間を飽きさせまい! Good  Ideaだ! 私が訪ねたカラオケは、店員さんが言うにはスマートフォンカラオケだが、それは当店にはないと。なに?! そんなばかなー!! 「マイクカラオケならあります」とのこと。「それですよ」と言うと、「液晶TVが必要です」 え・え・えー!?! 参った!! そこに追い打ち 「ドン・キホーテには売っていますよ」と女性定員の甲高い声。 ががーん!!  そんな盛岡まで買いに遠回りする時間あるわきゃない。思いついたのが今朝なんだよ!
ここであきらめる藤原ではない。一番安い液晶TVと、シガッレト口からコンセント100Vを取るコード、そしてマイクカラオケを買い求めた。それしかない。衝動買いの大家だ。身体の底から楽しさ、面白さが沸き上がってくる。いいぞ、いいぞ。すりきず公園で私たちの到着を待っておられた親御さんや子ども達との挨拶を忘れ、カラオケを使えるように包装紙をバンの車内でバリ割いていた。
子ども達にこのカラオケが結構うけた。最初から、乗り込んだ男の子たちは、運転している私など全く知らない激しい歌をガンガン怒鳴りたてみんなで歌うのだ。奪うように歌うが、私はわからない歌ばかり。しかし、嬉しい。愉快。楽しいのである。運転は明るいうちは私、暗くなったら吉山君と決めていた。
どのくらいたったか、耳になれたメロディー。「花は咲く」(復興ソング)を子ども達が歌っていることに気付く。思わず、大声を発して歌う私。ホロリ泣きそうになる。なんで、花は♪花は♪花は咲く♪   なんだよー。バックミラーで子どもたちの様子を見る。みんな歌っている。
 おや、乾杯? 長渕剛? そう「乾杯」だあ! 誰が歌っている? YUTOだ。ちょっと外れている感じだがどっこいしっかり歌えている。なんだかんだ歌が続いた。なにー! ソーラン節!? そう、外れているが、確かにソーラン節をうたっているのだ。手当たり次第に口に出し叫ぶように歌う。楽しさが、うわっ滑りしているのか、とにかくはしゃぐ。サービスエリアでメンバー交代。次は女の子たちだ。よくわからない歌のパレードだ。時間が思いのほか早く過ぎた。元は取ったなと思った。
 浦安の夢のみずうみ村についたのは夜11時であった。吉村施設長が待ち構えていてくれた。何食わぬ顔で、大喜びで子ども達を迎えてくれた。吉村施設長は、浦安デイの応援で、山口の施設長役から無理を言って転勤してきてもらった人物である。風呂の湯を張り、前日から貸布団セット、買い足したマットを用意していてくれた。身内とはいえ、ほろり涙が出る。ありがたかった。
 遅くなったが、子どもたちは、プールに入った。風呂に入る感覚でいいやと、深夜のプール開放。歓声が大き過ぎ、隣のアパートから苦情が来ないかはらはらしながら、約30分程度のプール。寝る場所は、貸布団セットと、6枚の合わせマットを一人分として、広いデイサービスのどこでも各自が好きなところでおやすみなさい、ということにした。
 大きい女の子たちは青春のたまり場(歌声喫茶)で、小さい女の子たちはカラオケ部屋、大きい男の子たちはシアター、それ以外の親子連れは会議室が寝場所となった。これは2日間とも変わらなかった。
 初日朝ご飯は、浦安駅のパン屋さんにチャリンコを走らせた。カレーパン、クリームパン、名知らずパン、ブドウ入り名知らずパンの4種類で、トレイに置いて販売していたすべてを買いこむ、女性定員二人、あわてて袋に必死で入れ込む。その光景を見てうれしく楽しい。
何ということをしているのだろう、これが子ども達の朝飯だ。パンは結構平らげてくれた。早々にディズニーランドだ。

天気予報は3時まで雨。晴男藤原は、予報は知っても、雨予報なら無視が決まり事。かつて、夢のみずうみ村の高齢者の方々を、同じくディズニーランドに山口県からお連れした際、曇り時々雨の予報をはずさせた実績を持つ。その時は、いよいよ最後の駐車場に一行が移動するぞという時点で、雨に遭遇。それまでは無事雨知らずで、ご一行は無事ディズニーランドを楽しんだ。その時の前日の天気予報は雨であった。そこで、万が一の時用にミッキーとミニーの雨合羽とポンチョを買っておいたのだ。しかし、結局それは使わずじまい。その年の職員忘年会に期待筋の景品とあいなった。
であるからして。今回、3時までは少雨の予報が出ていたが、そんな心配無用と、親御さんに宣言する私。でも降ったらどうしますと横澤さんが心配の声。いざとなったらポンチョを買うからいいよと言い放つ私。
ところが、である。ディズニーランド駐車場についたら、それまでショボ降っていた雨がぴたり止んだ。すごいねえと誰かの声。我ながら晴男だと強く自覚。
結局、今回も、雨は降らなかった。「ポンチョはないのですか」と、N君のお母さんが残念がったが、私は、晴男が立証されたことに酔っていた。

この日のために、ボランティアが参集してくれた。千葉県立医療福祉大学の4名、世田谷の夢のみずうみ村職員2名と、急きょ頼んだ職員の友人2名。助かった。朝9時から夜9時までの12時間遊び放題。自由行動。それを展開できたのは、個別に分散行動できたからである。ボランティアに大感謝。
私は「いざという時」の対応役で控える役回り。以前の夢のみずうみ村高齢者の方々との旅行では、障がい者優先入場の特権を活用させていただき、シンデレラの部屋などを歩き回ったが、遊びマシンなどには全くお目にかからなかった。ディズニーランドに遊具があるということに目がいかないほど、目の前の方の介助にめげ奪われていたのかと今になって思う。ところが、今回、驚いた。当たり前なのだが、周囲に張り巡らされたおとぎの遊具マシンたち。さすがディズニーランドだと感心した。前回は、ごくごく限られたエリアしか回っていなかったのだということを知った。
突然、T君が「人酔いしたので、浦安デイサービスに帰りたい」と連絡あり。待ち合わせ場所にみんなで確認していたゲートまでおいでと指示。T君が帰ると一人になってしまうY君を吉山君のグループに合流誘導する。タクシー場にT君を連れていき、浦安まで送ってくれるよう依頼する。私は再度ゲート入場。その時、ディズニーランドはすごいと実感。ゲートを出ていく時、手の甲に、透明のスタンプを押される。再入場するとき、手をかざすと、透明マークが物をいうのだろう、入場OKなのだ、目に見えないから、これが不思議な感動。
さてさてと、足が痛くなってきたなと思っていたら、携帯が鳴る。ボランティアの方から「トイレに行っている間にAちゃんの姿が見えない?」と。さあ、あわてた。「どこ? 今どこに居ますか?」「●△◎◆○―っ!」と耳にするが、その場所が聞き取れない。そのうち、聞き取った気もするが長いカタカナみたいな場所名前が覚えられない。何度も聞きなおす。わからない。その場所へ行くことができそうもないし、わからない。必死にディズニースタッフを探す。やっと見つけた中年のスタッフに尋ねる。 「迷子センターに行かれたらどうですか」と、軽く?(いやおそらく親切だったのだろうが)言われたことを直ちにボランティアに伝えようと、携帯を探す。あわてまくった私。そうだ全館放送してもらおう! 「う? ムードを壊すから迷子放送なんかするわけない。相当迷子はいるだろうに・・・。できないディズニーランド。放送したら興ざめ、営業妨害だろうな」などと考えながら、どこに行けばいいのか、ただただオロオロしていた私。迷子センターに舞い込んでいなかったらどうすればいい??!! 混乱した。おそらく5,6分ぐらいの騒動だった気がする。
「いましたあ! 会いましたあ!」の歓声が電話口からする。ホットほっと、ほっとする。どっと安心の疲れ感。でも、とにかくよかった。私はただあわてただけである。ボランティアの彼女の心配は私以上であったと推察する。お礼をもっというべきであった。足りなかった気がする。本当に、本当にありがとうございました。この場を借ります。感謝です。

夜のイルミネーションパレードは昼間もそうであるが、これでもかこれでもかというキャラクターたちの乱舞である。それは、それは、子ども達にはたまらない感動であったろう。大喜びしてくれたと思う。私はといえば、いささかくたびれて、冷めて見始めていた。ふと、「風の盆」を思ったのだ。富山県八尾の9月1日~3日間行われるあの静かな祭り。私がもっとも心揺さぶられ、癒され、じっと見つめていると涙がじわーっと浮かんでくる静寂な祭り。こんな凄まじい音声はない。静かなのだ。なぜディズニーランドで風の盆を感じたのか。にぎやかな祭りといえば、高知「よさこい踊り」である。目の前で間近に見たときは、スピーカー音で身体が揺さぶられるほどの勢いがある祭りである。しかし、このディズニーのパレードは独特だ。にぎやかはいいのだが、私はやはり風の盆がいい。集合時間の午後9時まで、ベンチに腰掛けじっと待つ。
ディズニーの中では食べ物に困った。私が食べたいものは何もない。ファーストフードの花盛りだからである。しかも行列を作っての購入。サラダは何とか食べられるか。甘い、甘いクッキーのようなアイスは、アイス好きだから何とかなるか。他は全く食べたい気がわかない。何とかサンドを食べてみようと決死に注文。ベトベト、サンドの間から肉汁でもないケチャップでもない、どす黒い色の調味汁が手に出てきて一口食べて捨てた。世界には、飢餓で生き死にしている子どもたちがいるのに。その子たちはおそらくねめるように食べるだろうに、捨てていいのか。買ってしまった軽率さを責めた。悔やまれたが 食べて体調を壊すことを思うとこれしか手はなかった。本当に申し訳ない。批判を恐れず申したい。米国から移入したから仕方がなかろうが、世界中のディズニーで同様の食べ物が大人気なのだろうが、健康的に絶対よくない食べ物である。販売をやめるべきである。不健康だ。ウオルト・ディズニーが生きていたら、蕎麦屋、すし屋に連れていき食べてもらおう。そうしたらディズニーランドに蕎麦や寿司も、メニューの一つに入るだろうにと、捨てたゴミ箱のそばのベンチに座り、しばし妄想。うろうろしていたら、ハウス食品のカレーハウスの看板が目に飛び込んできた。遅かった。早く出あいたかった。もはや、食べる気もなかったので見過ごした。
夜9時すぎに、全員が約束していたゲート下に集合。記念写真を撮った。みんな疲れているのか元気なのか、よくわからない。充実した顔。ぞろぞろ駐車場に移動。ただただ無事に過ぎた安心感で腹の底からうれしい気分が湧いてくる快感。
ディズニーランドを後にし、夢のみずうみ村に戻ったら、「今日はプールできるの?」と聞かれた。「いいにきまってるよ」とは言ったが、元気はあるのかいなと心配になった。どっこい、気苦労不要だった。はしゃぐ、はしゃぐ。ディズニーランドより元気だったのではないか。
 この日、12時にはみんな眠ったそうだ。吉山君から翌朝聞いた。私は、施設で寝ないで、自分のマンションに帰って寝た。身体が持たないと思ったからだ。
明けて月曜日は、浦安デイに利用者さんが来られる。朝、7時に、前日、御触れで伝えておいた高らかなドラの音。起床の合図。素早く起きて、寝ていた場所を開放し、何もなかったようにしなくてはならない。青春のたまり場で寝ていた大きい女の子は、予定通り起きない。布団をひっくり返してたたき起こした。深夜遅くまで、修学旅行感覚ではしゃぎまわっていたのかもしれない。それもありである。それも楽しい思い出である。こうして、マットをひっくり返して起こされるのも思い出に追加されると、私は信じて楽しんでやっている。
みんな集まったところで、語っておかねばならないことが浮かんだ。事前に、子ども達には、この施設に、脳卒中という病気の影響で、麻痺のある片側の手や足が、全く動かい方が通ってこられること。「治らないの?」と第三者から尋ねられることが苦痛であると(以前の病院勤務時代に聞いたので)、子ども達には、たずねないようにしようと伝える。治らない病気が世の中にあること、障がいと共に生きていく存在があることを子ども達に教えたかった。

朝食は二日目なので、前日のパンから「おにぎり」に決めた。実は、盛岡の夢のみずうみ村「輝」(FC)で考え実行している「おにぎづくり」だ。夢ハウスおおつちでも、すでに2回ほどやっている。「茶碗にラップを置き」「その上にご飯を盛り」「おにぎりの中に入れる様々の具を好きに選んで取り入れ」「その上から、ご飯を追加して置き」「最後に、(たくさんの種類がある)ふりかけの中から好きなものを選んでかけ」、「全体をラップでくるみ一握り」。おにぎり完成。好評である。
さあ、月曜日の朝。夢のみずうみ村の利用者さんと交流の日だ。送迎車が到着する玄関前に何人かの子ども達を引き連れ迎えに出る。事前に伝えてはあったが、どの利用者さんの表情も、いつもになく緩やかな印象がした。
子ども達の元気さ、賑わいは随所ですこぶる好印象であった。迷惑をかけるのではないかということは全く徒労に終わった。子ども達は、夢のみずうみ村の中にある巡礼札所(スタンプラリー)や、健康トリムと名付けた職員手作りの訓練具に夢中になった。予想外。あちこちで挑戦しユーメ(施設内通貨)を稼ぐのだ。とうとう、私は、大槌の子ども夢ハウスでも、今後ユーメを流通させることに決めた。
午前中は利用者さんと一緒にプールに入った。万が一を考え、当然、私もプールに入る。混乱が生じるかと思ったが、どっこい、「にぎやかでええね」と言われる。礼節を知るといえば大げさだが、狭い水路を交差して高齢者と子どもたちが行き交う光景が子ども達の学びの場と映り素敵であった。
バイキングは、利用者さんと一緒にすることで、これまた混乱が起きるかどうか気にしていたところであった。利用者さんが大人であることと、すこぶるお行儀がよかった子どもたちの間で、トラブルはなかった。長テーブルを直前に6台運んでいたのが功を奏した。
昼食が終われば帰り支度である。スムースに荷物を、マイクロバスとバンに載せられたと思う。お見送りを受け、浦安デイを後にしたのは、午後2時過ぎではなかったか。
帰りの道中は、カラオケ組は相変わらずバン内ではしゃぐことになり、マイクロ組は、DVD観賞。おおつちまで帰るのではなく、北上で一泊するから、ゆとりが少しある帰路。
北上のインターの下にある、健康ランド「Mars北上」が実によかった。午後9時ころに到着したのだが、直ちに、大広間に男女わかれ、マット・布団を敷く。終わった者から温泉に飛び込む。男性風呂は(女性も同じと思うが)大風呂2つ、水風呂、小風呂(ぬる風呂)サウナ、アカすりコーナーなど、そろっていた。子ども達は、小風呂に入ったかと思うと、すぐに出る。ひとりが出ると続いて出るし、一人が、アカすりコーナーのカーテンを開けて勝手に入ると続く。幸い、無人。サウナに入ったと思ったら、すぐに出てくる。焦る。私は、サウナ前の大風呂に入り様子を見ている。水風呂に足だけ入れて歓(奇)声。2,3度、「大声出しちゃダメ」と注意。浴槽そばを小走り移動。しかし、止めさせるほどでもあるまいと感じさせるほどの客人の数と広さがある風呂場。よかったと思う。
ハラハラはしたが、昨年、1泊バス旅行で、秋田県境にある西和賀に雪上サッカーをやりに行った時とは格段の成長である。あの時、途中の湯本温泉で入った共同湯で、男性の利用客の方から厳しく叱責され、子ども達は早々に湯から飛び出していった。あの子達とは思えぬ成長ぶりであった。タイルの上を走るのであるが、一年前に比べ、それほど怖いと感じなかった。「静かにして」「小声で!」という指示をしっかり守れた。この一年の成長ぶりを思わぬところで感じたのである。
10時から半蕎麦(わんこそばの感覚?)を食べる。途中のサービスエリア、4カ所ぐらい寄ったと思うし、バスの中でいろいろ食べていたのに、みんな半蕎麦を平らげた。
私には、厄介な習性がある。団体で泊まる場合は、隠れて寝られるスペースが不可欠なのだ。押入れがあればその中。舞台があればその奥まったところと決まっている。理由は2つあるが、ひとつはいびきが大きいこと。2つ目は、夜中、無意識にパジャマ(ズボン)を脱いでしまって、あられもない姿をさらしてしまうのである。この大広間に、舞台があったが、そっちは女性陣が陣取った。体調も気になるので、子ども達が寝静まる前ではあったが、吉山君に託して、定宿の北上のコンフォートホテルに11時45分頃入った。
翌朝7時、大広間に行くと、男の子たちは起きていたが、寝足りない大きい女の子組が、予測通り寝ている。また鬼軍曹の登場。「起きろ!」の大音声。それでも無反応な3人には、例のごとく、マットを引っ張り転がり出す。それでも起きない、寝ている。しかし、前夜は12時ころにはみんな眠ったと吉山君の報告。そりゃそうだ。これだけの強行軍である。眠気が襲わぬはずはない。少しは寝かせてあげようかと思ったが、ほかの子たちは予定通り起きている。例外は許すまい。バイキングの朝食を食べ、早々に出発。
大槌には予定を少し過ぎた11時半に戻った。すでに迎えに来られていた家族と再会。みんな喜び、笑みにあふれた。疲れがもっと出てもおかしくないのに、さすが子ども達であるなと思った。こうして、ディズニーランド旅行は、無事、たいしたケガや事故もなく終わった。子ども達も、参加された親御さんたちも大満足であったと思う。我々も、企画してよかった。

私は嬉しくなって、「この次には、お金を貯めて、山口県の夢のみずうみ村に連れていってあげたい」と大槌につく前にマイクロバスで口走っていた。今回の旅のしおりに、「クッソーが出稼ぎして働いている現場(浦安デイサービス)を訪ねよう」という文章が載っていた。旅行のしおりは、横澤さんか吉山君が書いたものであるが、私は、この子どもたちに、もっとあるクッソーの出稼ぎの場、夢のみずうみ村山口・防府のデイサービスセンターを見せたいという衝動に駆られた。連れていってあげたい、見せたい、この子たちの見聞を広げたい。稼ごう、もっと出稼ぎしようと、自分に言い聞かせ始めている。

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