表題の文書を ご寄付いただきました全国の方々に以下の文書を郵送させていただきました。ご寄付いただいた当時のご住所に文書を郵送させていただきましたが、返送されたものも多数あり、この場をお借りして、お知らせ並びに御礼を申しあげたいと存じます。同時に、匿名でご寄付いただいいた方々も多数あり、重ねてこの場で御礼申し上げたいと存じます。ありがとうございました。
郵送文書 (原文のまま)
2017年3月1日
子ども夢ハウス1億円募金にご支援くださった皆様
夢のみずうみ村 代表 藤原茂
「1億円募金運動終了」と「子ども夢ハウス」のこれから
厳しい寒さと、寒暖差が続く今日この頃でございます。沿岸部の大槌でも大雪の日があり、雪遊びに子どもたちは興じました。いつもと変わらぬ厳しい海風が吹き荒れる毎日が続いておりますが、子どもたちはいたって元気です。皆様におかれましてもご健勝のことと拝察申し上げます。
日頃よりのご報告を全くいたしておらず、「子ども夢ハウスだより」も滞りがちの中、唐突に、このお知らせをいたします非礼を、まず、深くお詫び申し上げます。誠に申し訳ございません。
開設以来、夢ハウスの管理者として、寝食を賭して活躍してくれた夢のみずうみ村職員、吉山周作君が、社内結婚で結ばれ、首都圏の夢のみずうみ村(世田谷新樹苑)に転勤いたしました。そのあとを、若い男性職員2名を新規雇用し、吉山君時代から頑張るお母さん職員2名と計4名で奮闘しながら運営を続けております。
振り返ってみれば、4年前の2月頃、納棺師の笹原留似子さんと知り合い、彼女の「駆け込みハウスが必要だ」の話に触発され、衝動的に「子ども夢ハウスおおつち」を開設しました。当初から、助成金に頼らず、募金活動のみで施設運営をする判断をし、1億円募金は始まりました。
募金は、5期にわたり、第1期、子ども夢ハウスおおつち。第2期、夢ランド(すりきず公園と命名)。第3期、スープや夢結び(車による移動販売)。第4期、がやがやハウス(就労支援事業所)。第5期、エルダー旅籠夢長屋(介護付きホテル)と、段階的に資金を集めて事業展開する計画でスタートいたしました。
本日まで、総額52,253,226円という素晴らしい運動となりました。本当に感謝申し上げます。
募金運動を実施する責任主体は、社会福祉法人夢のみずうみ村が行い、運営資金一切を募金で賄うことを条件に、法人事業として開始いたしました。「夢のみずうみ村」は、介護保険事業のみを行う法人であり、銀行からの借り入れで運営を行う実態の中での大槌事業の開始ですから、法人会計から大槌事業の負担をすることは当初より不可能でしたので、大槌に関する全てを寄付金で賄うことで動き出した次第であります。
1.子ども夢ハウス開設と運営資金
募金運動のおかげで、子ども夢ハウスは、大槌町安渡地区に7LDKの民家を借りて駆け込みハウスを開設し、近隣に「すりきず公園」も作り、遊び場のない子どもたちの格好の暴れ場所となりました。(1億円募金の第1期事業と第2期事業の実現)。借家借り上げ費、すりきず公園づくり費用、子どもたちの日常プログラム運営費、行事費、イベント開催等のプログラム費、山口デイサービスから運んできたワゴン車の車両管理費、光熱費、さらに、人件費等々のランニングコストも、子ども夢ハウスに掛かる全ての経費を募金で賄わせていただきました。
そんなある日、「募金は、事業費のみに使っていただき、事務費(人件費、ランニングコストなど)に使うことはやめていただけないか」というご意見を承りました。助成金を受けない覚悟で始めましたので、「運営資金は募金しかなく、子ども夢ハウスにかかわるすべての経費を賄わせていただかざるを得ないのです」と、ご理解を求めましたがご納得いただけませんでした。しかし、そのご意見を頂いたことによって、必要な経費に絞って運用する覚悟ができ、公正に今日までやってこれたと思っております。この報告をご覧になった中にも同様なご意見をお持ちの方がおられるかもしれないと思い、ここに明記させていただき、なにとぞ、ご了解を賜りたくお願い申し上げる所存でございます。
子ども夢ハウスの5期にわたる事業計画は、募金が一定の目標金額に達して、はじめて事業を開始展開するというものでしたので、運転資金は別建てにしなければいけないことは自明の理でした。社会福祉法人理事長の藤原(当時)が、「全て寄付金で運営するから法人には迷惑をかけない」と宣言し、独断専行型で始めました。夢ハウス事業にかかる経費は、家賃、人件費負担が大きく、徐々に、社会福祉法人に負担をかけ始めました。それを、職員、理事各位のご理解とご支援で、乗り切りながらやってまいりました。一方、介護保険事業の単独運営事業を行う当法人にはおのずと限界があり、国の制度改正が行われる度に、単価改正も行われ、収入減による不安定経営を強いられる経営実情下での大槌事業でした。この間、職員各位には、賞与不支給の現実を呑み込みで頂きながら、大槌事業の法人支出を行うという不測事態をもたらしたりしました。しかし、子ども夢ハウスの運営資金の主体は、今日まで絶え間なく続く募金活動であり、ひとえに、募金活動してくださいました全国各地の多くの皆様のお志であります。
2.子ども夢ハウスを、「公的認可事業に」から「新天地に移転へ」
こうした運営状況を打開し、長期的に安定した運営体制を作ろうと考え、子ども夢ハウスを公的認可施設に申請しようと考えました。この段階で重大なことが判明しました。借りていた7LDKの民家が建築基準を満たしていなかったのです。よって、公的支援の申請ができないことが判明しました。
混乱していたところに、延べ面積が今より3倍近く大きく、家賃も安い住宅が出てきました。大槌町内移転ですが、施設があった安渡地区内ではないので大変な決断を迫られました。すでに施設近隣の地域の住民の方々と密着しており、子どもたちの原風景にもなっているこの建物から移転することは考えにくい選択肢でした。
しかし、経済的支援を受けられない建造物であるという重大な問題点は、いかんともしがたかく、苦渋の決断で移転決定。子どもたちみんなの力を結集し、現在の大槌町大ヶ口に大移動を図りました。この決断が、正しかったかどうか、今もって、意見の分かれるところとなりました。
3.最近の子ども夢ハウス
本来、子ども夢ハウスには2つの機能があります。第一の機能は「放課後学童の運営」、第二の機能は「駆け込みハウス」です。
震災直後に、面影復元師の笹原留似子さんが訴えた「自ら命を絶とうとするような心境の子どもたちの話を聴く場、逃げてくる場所、何事かある場合の緊急避難所をつくろう」といった必要性は、震災後6年過ぎた今ではもはやなく、駆け込みハウスとしての役割は終えたのではなかろうかと、笹原さんと私で共有確認いたしました。
学校に行けない子どもたちは、新しく移転した夢ハウスにもふとやって来ます。以前からそうでしたが、夢ハウスしかこられなかった子どもは、やがて少しずつ通学できるようになります。不登校期間が長くなった子どもは、学習面で著しく遅れる心配をしはじめ、学習塾に午前中行き、午後夢ハウスに戻ってくることができるようになります。家からまったく出られなかった子どもが夢ハウスには来て、ここを踏み台にする実態があります。
夢ハウス開設当初は、震災後2年近く過ぎているのに、大槌に自由な遊び場はなく、学校と仮設をスクールバスで往復する毎日。たまり場のない子どもたちの必要な空間として、子ども夢ハウスはその役割を果たしてきたと思います。最近でも、夢ハウスにやって来て、することはといえば、部屋の中で、ドッジボール、卓球、新時代ベーゴマ遊びや人生ゲーム、料理、さらには、新しく夢ハウスの裏庭に作った「第二すりきず公園」でサッカー、バスケット、滑り台に興じます。しかし、「学ぶ」ことを捨てた施設ではありません。広い家の中に学習室も常設し、放課後はまず宿題をしてから遊ぶ習慣化は達成できました。不登校の子どもたちは、個人差はあれ、戻るべき学び舎にやがて戻っていくワンステップとしてここを利用します。子ども夢ハウスは、しっかり、社会資源の一つとして大槌町での存在を示してきたと実感します。
4.子ども夢ハウス事業、継続か否か、決断の時
大槌役場、教育委員会から、放課後の子どもたちの支援をどうするか声かけがありました。関係機関は、放課後デイを行っている、夢ハウス含む3施設。学習塾1施設。読み聞かせ1施設。教育委員会、障害福祉課などです。これからは、分散して支援するのではなく、各団体が連携し、学校生活と放課後の流れを作り、共同して事業展開しようという動きです。最近では、放課後、集団下校の集会場にスタッフがお迎えに行き、一緒に夢ハウスに帰ってくる子もいます。夢ハウスに来なくても、復活した野球やサッカーの活動をやったり、フリースクール形式の学習塾に行ったりと、少しずつ活動の選択の幅が生まれ、子ども夢ハウスの存在意義が変わりつつある背景が見えてきました。震災発生から6年目に入り、火急的な支援から、永続的支援に転換する時期に入った被災地に共通する課題かもしれません。大震災でショック昏迷状態が起き、多くの助けを必要した被災直後の支援。その後の緊急復興支援。2年後から開始した子ども夢ハウスは、継続的支援と呼ぶべき支援といえそうです。子ども夢ハウスができた復興2年後も、大槌に自由な遊び場はなく、学校と仮設をスクールバスで往復する毎日。たまり場のない子どもたちの必要な空間として、子ども夢ハウスの支援は不可欠でした。
こうした様々な被災地での支援活動は復興6年を経て変わりつつあります。活動を終了していく団体も目立ちます。支援活動をどのように展開するか、各団体が過渡期に入ったといえます。行っている活動を、永続的支援という形で提供すべきか否か、決断する段階に来ているのです。
子ども夢ハウスでいえば、4年間続けてきた活動を、ここで新たに組織固めして、永久的支援に展開すべきか否か、決断する時になりました。社会的必要度、運営人材、経済的側面の3つの要点で決断を迫られています。
開設当時訪れた子どもたちの顔ぶれ、利用期間、利用内容・状況は(微妙に)異なりますが、どのお子さんにとっても、子ども夢ハウスがなかったら、その成長過程はどうなっていただろうかと案じさせるほど、一人、一人に、素敵な影響(成長)をもたらしたと思います。ご支援いただいた皆様方のお気持ちは、素敵にこの地のこの子どもたちの中に育まれたと確信いたします。さて、この先です。
大槌町では、昨年9月23日、小中一貫校「大槌学園」を開校し、仮設小・中学校を廃止しました。さ来年度4月には、学童保育所を併設することになっています。こうした背景下で、我々が震災2年後から行ってきた子ども夢ハウスの支援は、まだ必要な存在なのであろうか、大槌の子どものための支援社会資源はそれなりに充足されてきている、それでも、社会資源の一つとして存続運営していくべきか。いや、いつまでも支援の輪の中にあるのではなく、地域に委託委譲し、地域社会を育てることも重要ではないのか。いや、それは時期尚早、支援はまだ不可欠なのではないか。こうした葛藤は、それぞれの支援団体が行っております。いろいろな支援団体、人が大槌から離れ、去っていきました。一方ではそれこそが復興の証です。復興が着実に進んでいるのです。
5.1億円募金の終了と「子ども夢ハウス基金」の設立
今後の子ども夢ハウスの運営は、町内有識者や利用しておられるご父兄代表で構成するを「子ども夢ハウスおおつち郷親(さとおや)の会」(当面、無認可)を設立することにしました。皆様からの募金残額は、今日の時点で1千万円余あります。これを基金として、「子ども夢ハウス基金」を設けます。異土の社会福祉法人が運営してきた活動を、地元の皆様、ご父兄で構成する「里親の会」に移管できることは素晴らしい活動の転機であると感じます。よって、1億円募金活動は、本年3月をもって終了させていただきます。
これまでの、ご寄付の使途につきましては、別紙に決算書で報告させていただきます。残金をすべて、子ども夢ハウスの活動に使わせていただきますので、この会に、全額移譲することを、ご寄付いただきました皆様に、勝手ながらご了解いただきたいと存じます。皆様のご意思が、最後まで、しっかり、おおつちの子どもたちのために使われることを見守らせていただきます。
この基金で、おそらく最大1年間程度は事業を継続し、地域の社会資源として、他の事業者と協同し、子どもたちの支援を行うことが可能だと思います。皆様からのご寄付の全てを最後まで子ども夢ハウスおおつちで使わせていただきます。
当初より、事業費のみならず、事務費も含め、子ども夢ハウスおおつちにかかわる全額を、皆様からのご寄付で賄わせていただきました。丸4年間の活動を皆様のお志が、この活動を生み出し支えてくださいました。
本当に、本当に、ありがとうございました。
全寄付者の方々に、この文書をもって、経過報告と、勝手ながら、今後の展開にご了解いただいたものとさせていただきたいと存じます。
よろしくご高配のほどお願い申し上げます。
追記
子ども夢ハウスを、開設当初から長きにわたって追跡報道されてこられたNHKが、これまでの4年間分を総括した報道を以下の日程で放送するとのお知らせを頂きました。
これまで、4年間、子どもたちの成長とともに番組を作っていただき、東北地方では地方発ドキュメントとして何度か放送されました。NHKのスタッフ、赤上・大渕・原の3氏と藤原を含めた4人は「ヨンタクロース」と名乗り、クリスマスには、東京、盛岡と、子ども達から注文されたプレゼント買いに奔走する仲間になってしまいました。
この放送をぜひご覧いただき、ご寄付いただいた皆様方の「熱い志」が随所に生きていることを実感していただけるものと信じます。皆様が、この画面に登場する子ども達を育んでくださったのです。1億円募金活動にご協力くださった皆様、おひとりおひとりにお声をかけることができませんが、画面から子どもたちのメッセージをつかんでいただくことができると確信します。組織・団体も併せて、総勢900人の方々のご支援に、重ね重ね感謝申し上げます。画面に登場する子どもたちやご父兄ご家族。登場していない子どもたちやご家族のご協力にも会感謝します。
末尾となりますが、この場をお借りして一言、お礼を申させていただきます。身内ともいえる夢のみずうみ村フランチャイズの施設の経営者、管理者、職員の皆様方。夢ハウスの激動・激流に激しく共に葛藤した社会福祉法人の理事・関係者。とにもかくにも、大槌の子どもたちを、遠方においても見守り続け、支えてくれた夢のみずうみ村全職員の皆さん。ありがとうございました。