ラ・ベルヴィ移転と土地探し
夢のみずうみ村を作りたいという情熱(思い)と、それを具体的にいかにつくるかという意識(これも思い)との間には相当の開きがあります。施設づくりをしたいという思いをなさっている方は多いはずです。
しかし、現実にはどこからどういう風に突破口が開かれていくか迷路に入って苦悩されている方が相当数あります。思いは募るのですが、具体的に実現に向け一歩踏み出すまでには現実的な壁があります。どういう方向に第一歩を向かうか、それを決める壁です。
近道は動くことです。理屈をこねず、まず動き出すことが基本であることに間違いはないと思います。動きながら考えるしか手はないと思います。
障害児をお持ちのお母さん方の集まり「ラ・ベルヴィ」が施設づくりを意識して、お菓子作りや、バザーなど地道に活動を始め、800万円近い資金集めをしていることは村づくりの大きなきっかけでした。(結果的には、夢のみずうみ村に一部寄付、一部借用させて頂きました) 親たちの施設づくりを支援することと夢のみずうみ村建設運動とが合体するという発想でした。
何回かの定例会を開いたりした後、まず行動すること、そのきっかけとしてミュージカルを持ち出しました。これも唐突でした。夢のみずうみ村はどういうものか、ミュージカルをみんなでやりながら、啓蒙し、資金集めも一方でできないかという発想でした。メンバーの中に亀裂が生み始めたのは皮肉にもこのミュージカルでしたし、不思議なことに、こうした動きの中にラ・ベルヴィの移転話しが持ちあがったのです。
ある日当然、ラ・ベルヴィ代表の野村恵子さんから、土地の寄贈話があるよと打ち明けられました。
「1000坪の土地を寄贈して頂ける話があるけど、ラ・ベルヴィでは大きすぎるので、夢のみずうみ村をそこに作らないか」というものでした。ラ・ベルヴィのメンバーは、一部の方々が夢のみずうみ村のメンバーでもありました。
夢のみずうみ村広報部長である野村周平君とお母さんの恵子さん、そして私と3名とで、土地の寄贈をお申し出頂いた寄贈者の方の実家を訪問させて頂きました。
そこでの出来事は、
* 土地は寄贈ではなく貸与とすること
* 広報部長の周平くんは脳性麻痺で身体が少々不自由ですから、和室の畳部屋に身体を投げ出して話し合いに参加しました。言葉ではなく身体を張って訴えたという感じです。それに対して、
「こういうお子さんの施設づくりは国が責任をもたなくてはね。あなた方がNPO法人を作ってやられるとは・・・、福祉は遅れていますよ」という同情の声かけでした。