職員採用原則 いやそんなものあるのか
職員の採用原則って言うようなものがありますか、と質問があることがある。そういうものはない
採用はいいことか悪いことか、どうも理事長決済のようになってしまっていて藤原が面接することが多い。施設長はいつのころからか、山口コ・メディカル学院でコンビを組んできた理学療法学科長 吉村静馬氏の細君と決めていた。少しの期間山口リハビリテーション病院で一緒に働いていたのであるがそのときは詳しく知らなかった。
吉村夫妻が関西の重度心身障害児施設で知り合われ結婚され、そこに長年勤務されていたという事実が私をして適任であると思わせたのだ。なぜなら、当時の重度身体障害児施設は労働力不足で猫の手も借りたいほどの激務であったのだ。そういうところに務まるヒト、飛び込むヒトはすごいヒトなのである。
介護主任のK君とは萩子供クラブで長年ボランティアを共に行ってきた二十年来になろうとする間柄となった。
独身時代から、毎月第2と第4日曜日に養護学校に来て、一日ないしは半日、障害児の感覚統合サーキット訓練をするのである。電気工事の力仕事とはあまりのいかけ離れているのに彼は時間の都合がつけば参加し男手が少ないスタッフの中で力を発揮してくれたのである。村を作る際に、早々と彼に声をかけた次第である。
介護のHさんとは、娘さんのリハビリを通しての間柄である。脳性まひであった長女のJさんのリハビリを担当させていただいただけであったが、同じく、N君のお母さんといつも一緒に夢のみずうみの初期の活動に時々顔を出していた。それが、Jさんがなくなられて、夢の湖が実際にこうして施設を作る段になって就職していただくことになったことはJさんが引き合わせたに違いないのです。今年、支援費事業で脳性まひの子どもたちや、Jさんと同級であった子どもたちが村に通ってくるようになって、彼女は身体障害者・児童・知的デイサービスのスタッフの責任者に成長しているのである。
Hさんは、建築の打ち合わせに出向いた浜村工務店さんの細君からボソッと口走られた。「いい人がいるんだけど」
(編注:2001年当時の話です)