藤原茂プロフィール
1948年山口県萩市生まれ 作業療法士 NPO法人夢の湖舎理事、株式会社夢のみずうみ社相談役、琉球リハビリテーション学院長、日本作業療法士連盟相談役
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ブログ雑感
会った方が、「ブログ見ていますよ」とおっしゃるのが、一人二人ではないことに、いつも驚かされる。 20年前、いや、その2,3年前から、夢のみずうみ村建設運動を始めており、そのころ、パソコンはなく、ワープロ時代で、四角いフロッピーにデータを保存していた。 それが、パソコン時代になり、フロッピーが使えなくなり、CDにしてくれるサービスを知って、どこかで、CD化してもらったのだと思うのだが。 この度、偶然、古い昔の記録を掘り起こすことができた。それを、可能な限りここに掲載させていただこうと思いついた。掲載したのはいいが、そこに収録した写真が、このブログ上には。消えてしまっていると指摘された。 私は気づかなかったが、防府デイのスタッフ、徳本君がそれに気づき、修正をしてくれて、順次、このブログ欄に再掲してくれていたのである。感謝感謝。 わたしは、すでに、終活に入っています。だから、感じたこと、考えてきたこと、それらを、生きている証としてここに、書き残したい衝動に駆られることがあります。表に出すというこのブログ形式があるので(これこそありがたいことです)そうさせていただきます。
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ミュージカル「夢のみずうみ村」
夢のみずうみ村の関係者、職員はもとよりですが、ミュージカル「夢のみずうみ村」をご存じの方は、ずいぶんと少なくなりました。というより、ご存じない方が大半でしょう。開設初期の職員7人衆すらも知らないと思います。NPO法人「夢の湖舎」を設立しようとする前の時期の試みでした。当時のワープロフロッピー(10cm四方の薄い保存シート:知らない方も多いと思うので注釈入れました)をCD化し残しておいたものを偶然発見したのです。懐かしくなり、ここに掲載いたします。 私が、山口リハビリテーション病院で作業療法士として仕事を始めたころ、昭和62年(1987年)のころの話です。『たまり場を作ろう』という、私が訓練を担当させていただいた脳性麻痺の3人の女性の茶飲み話から、夢のみずうみ村を作ろうと衝動的に思いついたのでした。脳性麻痺の子どもたちとかかわっていた親の会「ラ・ベルヴィ」との出会い。施設づくりが動き出したそのしょっぱなの衝動からでした。夢のみずうみ村建設運動を広げるために、メンバー総動員でミュージカルをやろうと私が言い出し動いたのでした。 その台本原稿が見つかったのです。私が書いたものですが、一度も上演されませんでした。練習のみを少し行った程度で埋もってしまった原稿でした。それが、今、陽の目を見たのです。ただ、ただ、懐かしいのです。脚本 演出は、私です。自称物書き。中高校時代から、脚本を書き、演出し、4本の芝居実績をを持っている身ではありました。 メンバーの面々皆さんが、よくぞ、私の思いについてくださったなあと思います。ミュージカルですから、作曲をお願いした山口リハビリ病院の長井さんにも、曲作りと練習にお手伝いいただきました。懐かしいですねえ。 役者では、お亡くなりになられて相当過ぎましたが、ある一人の山口リハビリ病院時代の患者さんで、脊髄損傷であったE・Nさんのことを思い出します。全介助で、最初リハビリを開始した方です。チルトテーブル(電動起立台)にて、15分間(最初15度から徐々に角度を上げ、最終的に90度立位保持するリハビリです)を、チアノーゼが起きるか起きないかとヒヤヒヤしながら、ご本人と共同し相談しからだと呼吸状態を確かめながらリハビリをしてきた方でした。彼は頑張り、電動車いすに全介助で移譲し、自由にあちこち動き回るまで回復されました。退院され、自宅で頑張られました。シャイでしたが、ミュージカルはやりたいとおっしゃり、頑張りました。彼の忘れられない言葉が、20数年以上もたっても思い出すのです。 「セリフは喋れるけど、歌おうとすると息が止まり失神する!」と。天国で笑っておられると思います。 他の障がい者の方々、ボランティアの方々など、よく、こんな私の、夢の湖村を作りたいという思い付きのミュージカル上演活動のチャレンジについてきていただいたなあと思います。 この脚本が出てきて、こうして、ブログに掲載させていただくことを我が人生の喜びの一つとして感じ入っています。読み流し、見流していただければ幸甚です。 ミュージカル「夢のみずうみ村」 夢のみずうみ村というものを自分たちのものにするということと、多くの方に啓蒙するという意味を込めてミュージカルをやろうと突然藤原が言い放ったのです。それが未完成の台本でありながら、現実に提示され、セリフ入りの歌、まさにミュージカルを練習し始めたのですから今から思えば無謀でした。現在の夢のみずうみの会員の中にも、このミュージカルの練習にかり出された方があります。それがきっかけになったか否かは分かりませんが、メンバー間に少しずつ亀裂が生じ、結果、夢のみずうみ活動は分裂ということになったのです。思いやりのあるいい仲間でありながら以外と組織的に運動していく難しさを体感した我が村創世記の歴史です。 ここで、一気に、そのときのミュージカル「夢のみずうみ村」の台本を掲載します。いつの日か上演できる日があるのでしょうか ミュージカル「夢のみずうみ村」台本 会場入り口に 看板 と 「お知らせ」が掲示してある。 ┌──────────────────────┐ │ お 知 ら せ │ │ かたち星共和国へ入国される皆様へ │ │ │ │ 入国される方はパスポートをお見せ下さい。 │ │ パスポートのうらに │ │ ○△□のうち、 │ │ あなたが一番すきな かたち を │ │ 一つだけかいて下さい。 │ │ かたち が 描いてない方は │ │ 入国はできません。 │ │ │ │ かたち星共和国入国管理事務所 │ └──────────────────────┘ 会場入り口ドアにかたち王国の職員が、入場者の許可証の確認をする。 (受付係りも入り口業務は全員入国係員の服装で観客を迎える。) … 続きを読む
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夢のみずうみ村物語 その18 あんたはスターだ!
あんたは スターだ 毎朝、プログラムボードの前はお祭り騒ぎです。ご自分のプログラムカードを張ろうという人たちが交錯します。リハビリテーションという発想でいえばこれが実にすばらしい場面なのです。 動線が交錯する環境をリハビリ場面でつくろうということ自体、病院や施設ではちょっとした設定を意識的に行わないとできません。ところが夢のみずうみ村では、毎日朝午前九時半から十時過ぎまで、それはそれは大混雑です。そこを取り仕切るのが何あろうスターなのです。スターには、いろいろあるでしょうが、夢のみずうみ村にはオバスターが活躍しています。「オバスター」と呼んで分かるのは夢のみずうみ村の職員だけです。おばさんのスター役をこう呼ぶのです。 スター役というのは、プログラム(利用者の方ご本人にとっては一日をどう流すかを決めて頂くこと)を、いかにの流すか、それを援助する役です。すなわち流す役、流れる。流れるは、流れ星、スター、スター役と勝手に連想し名付けました。 すると施設長が「それじゃあ、私はさしずめ、オバスターね」と呟いたのです。自分をおばさんと自覚し、おばさんがスター役をやっているからオバスターという案配だと職員一同直感しました。アネスター、アニスター、オジスターと多くのスターが登場した瞬間でした。 職員がプログラムの流れを把握するにはスター役を経験することが一番です。誰でもスター役ができるようになることが望ましい姿であろう。
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夢のみずうみ村物語 その17 プログラム援助の合い言葉
プログラム援助の合い言葉 (ときめき・はばたき) プログラムを実施する場合に、スタッフがどれだけ手をお貸しすればいいか話題になります。全面的に手を貸してさし上げてもいいですが、それでは上げ膳・据え膳で「できる能力」を奪いかねません。中には、職員の手を借りたいなあと思われてる方のお気持ちを察してさっと手を差しのばすことができるためには、手をお貸しする必要がある方をしっかり承知しておく必要があります。 重いものを持つだけの力がない方、片手しか上手に使えず、どうしても代わりの手が必要な方など、それぞれの身体等の状態によって様々な援助をさっとさしのべることが職員に要求されます。 職員の手(援助)を必要とされる方、援助を期待し心ときめかせて待っておられるだろうと想像できる方、こうした方々を職員の合い言葉として「ときめき」ありと呼ぶことにしました。「ときめき」を感じ取った職員が素早く必要な援助をしてさし上げたいと考えます。そういうかたは「そのことをどうしてもやってみたい」という心の働き(ときめき)が見てとれるのです。 こうした「ときめき」がはっきりしない方も無論いらっしゃいます。そういう方には、「人生もっと楽しむぞ」って、羽ばたいて頂きたいのです。そういう気持ちを込めて職員の合い言葉は「はばたき」ということにしました。
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夢のみずうみ村物語 その16 一日の日課を自分で選択する
新しい試み始まる 夢のみずうみ村山口を増築した段階から、プログラム選択の方法を改良しました。 あの、大きな盤は消え、送迎車ごとの小さなホワイトボードに変更し、おおむね5・6人がひとつのボードで選択するというやり方に変更しました。とりあえずの方法としてやってみていろいろ変更しようという夢のみずうみ村得意(?)の方法でスタートしたものを紹介しておきましょう。もっと良い方法が見つかったらすぐに変更になっております。絶対に変更にならない点は利用者の方にご自分でプログラムを選んでいただくことです。この点ではいささかの揺るぎもありません。 一日の日課を自分で選択します (すてき・げんき・のんき) 通常、自分が一日どう過ごすかは自分の意思で決めているとおもいます。夢のみずうみ村では、毎朝通所された直後に一日のプログラムをお決めになります。そして、その決められたプログラムを実際にご自分で実施されていきます。その際、プログラムを選択するときにスタッフの援助の手が必要であったり、移動する際やプログラムの準備などにどうしても職員の手助けを必要とされる方があります。 誰もが、自分の生活を自分で切り開き、人生を楽しむようになることを支援するのが村の使命です。そのために、目標を意識する必要があります。あの高い山に登ろうというような感じです。 夢のみずうみ村ではご自分で一日の予定を立てることが必要です。ご自分で予定を立ててどんどん忙しそうにプログラムをこなしていらっしゃる方は素敵ですね。こうした方は「すてき段階」にある方と呼ばせていただきます。 ほかにも、少し指示や援助の手があれば、ご自分でプログラムを選択でき、若干の指導援助があれば実際のプログラムを実行できる方がいらっしゃいます。このかたも、はつらつとしてプログラムをこなされます。「元気段階」にある方としました。 プログラムを実行する際にも、お身体が不自由な分、少しの継続的指導や援助が必要な方もいらっしゃいます。少々家族や職員の手を煩わせても、いつまでも元気でいたいとご自身で意識され、行動しようとなさる方は、まさにこの「元気段階」なのです。 こうしたお元気な方とは別に、「いつお迎えがきてもいいから、今更何もしたくないですね」という思いで、焦らず、動かず、特に何もせず、誰かの指示や援助があって始めて行動なさる方を「のんき段階」とさせて頂きました。 すばらしい心境に到達された方々だと思います。しかしです。夢のみずうみ村は、生き甲斐を持って頂くことを使命として開設した場所です。どういう段階の方にも、お元気になって頂き、「すてきな人生ですね」述懐して頂ける生活を保障したいのです。
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夢のみずうみ村物語 その15 夢のみずうみ村のプログラムは多彩です(3)
プログラムの実際 ボードには左端にその日の利用者のお名前、その隣から時間帯になっており、9時から16時までメニューカードを個々に貼り付けていくことになります。 メニュー板は3つあります。(写真参照) それぞれ 写真の中の文字を読み取って頂ければ幸いです。 メニュー板のカード一枚の大きさ(横の長さ)が時間を表しています。一番小さいのが20分、次が30分、さらに、60分、90分といった長さのものがあります。 このプログラム板はレストランで今日の定食メニューが書きだしてあるような感覚です。 プログラムを張り出すという作業自体がリハビリになっているのです。どういう内容か書き出してみますと、 ① 数あるメニューからお好きなものを考え選び出す ② 3つあるボード(写真)のメニューカードから探します (なれてこられた方は、一見してどこにそれがあるかがおわかりです) ③ メニューカードをつまんで頂きます ④ メニューカードを、ご自分の氏名欄(縦並び)を探してそこに張り出します。 ⑤ 時間帯(横並び)にあわせてご自分の考えた時間帯に貼り付けます ということになります。 こういうことがご自分でできるか否か、そこに利用者の方お一人お一人の能力に応じて職員は3つのグループに分けて対応させて頂いております。
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夢のみずうみ村物語 その14 夢のみずうみ村のプログラムは多彩です(2)
リハビリの基本は食べること 身体が動き、心が動き、そして、身体が開き、心も開くというリハビリテーションの最終目的を達成するための格好の手段は「食べること」です。 焼き鳥の串差し・・・・・串をつまみ、火の上に乗せたり動かしたりという手先の巧緻性の運動、筋力が無ければコンロの上に持ち上げて置くこともできません。指すもの(肉・ネギ)・さす位置・順番等が認知できるから串差しという動作が可能です。理解力も無ければご自分で串を焼いて食べるということは不可能でしょう。 火で焼き鳥を焼く・・・・・もっと焼いた方がいいなあという判断・理解力。焼けている表とまだ焼けていない裏とが分かる認知力。手があつくならないように火に手を近づける協調性能力。 等々あげればきりがないほど、この写真一枚でも様々な能力がこの焼き鳥を焼いて食べるという行為の中に含まれているのです。こうしたこと自体がリハビリテーションそのものなのです。
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我が本が電子書籍になりました
電子書籍で、以下の3冊が とりあえず、販売されるそうです。時代ですねえ。紙媒体で本を見ない。驚きです。と同時に、本を書いたのは、10年以上も前ですが、自分の考えが色あせていないことに、最近、2005年に書いた、「介護補棒リハビリテーション」を、現場(防府デイサービスセンター)で再活用していることにかんがみて、驚いております。自分に。しっかり、考えたアイデアは、貴重だ。だから、「思考をやめるな藤原君!」と自分に言い聞かせております。 しかし、もう、本を書き上げるエネルギーはないですね生活支援のための、リハビリプログラムは、今、やっている「健康トリム」をベースにかけるかなあと思っているのですが、体力がついていきませんね。 「生活を活発にする介護予防リハビリテーション」 「生活支援のためのリハビリ・プログラム(1)」 「生活支援のためのリハビリ・プログラム(2)」
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夢のみずうみ村物語 その13 夢のみずうみ村のプログラムは多彩です(1)
夢のみずうみ村のプログラムは多彩です 夢のみずうみ村のメニューにはどういうものがあるかご紹介しましょう。夢のみずうみ村役場(事務所のこと)正面の壁にホワイトボードが縦に三つ掲示してあります。(注 2002年当時)それがスケジュール表です。利用者の方が一日どのようにお過ごしになるか決められ、メニュー板から一つずつ選択され張り出すためのボードです。 身体が楽になったら 心が開くという信念 身体がだるかったり重たい感覚がある場合には誰も気分が滅入ります。反対に身体が軽くなるとうきうきして何かを始めて見たいという意識が生まれてきます。身体を楽にする方法として、夢のみずうみ村では「身体あたため」「あんま」「身体ほぐし」があります。 「身体あたため」はホットパックです。「あんま」は鍼灸師の石田陽子さんが指導します(注 山口デイの場合、現在はやり方のDVD等があります)。 身体ほぐしは「上田法」による手技を行うものです。上田法は日本上田法治療研究会認定講習会に参加して有資格者になった者が7名います(2002年当時)。今後も全ての職員が有資格者になるべく切磋琢磨しております。 「そば打ち」やりませんか そばを打ってみませんかと声がかかったら、「やってみたい」「食べる専門でいいよ」「やった経験が無いけどできる?」といった、様々な反応が起こると思います。そういう心の反応をいかにひきだすか、心をいかに揺さぶるかが夢のみずうみ村の特徴の一つです。揺さぶるメニュー。それをとりあえず、手当たり次第挑戦してみる。楽しいか否か、面白いか否か、続くか続かないか、案ずるより生むが易しです。やってみることが大事です。
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人生の賞味期限 藤原茂 2028年10月6日 80歳 まで認定する
人生の現役認定証 2021年9月6日 藤原茂 殿 人生の現役として貴殿を認定する。 人生の現役賞味期限 2028年10月6日 夢のみずうみ村人生の現役認定委員会 人生の現役認定証は、現在、防府市で行っている、短期リハビリテーション事業の中で、夢のみずうみ村防府デイが、利用者さんにリハビリテーションを12回実践し、その結果に基づいて発行する利用者さん支援手法である。それを、自らが、自分自身に対して、公に、認定証を発行し、その決意をここに表するという、実に自分勝手なものである。しかし、真剣に、真摯に、これを施行したいと考える。 夢のみずうみ村代表を降り、株式会社夢のみずうみ社、新社長に片山勝彦君、社会福祉法人理事長に宮本志郎君の両名に役割委譲し、まもなく3か月が過ぎようとしている。スムースな移譲ができた背景には、二人のトップ、それぞれの、並々ならぬ危機感が背景にあってのことだと感じている。私自身、責任をこれからもしっかりととっていく覚悟として、自分に「人生の現役認定証」を発行し、尻をたたく腹積もりでこのことに及んでいる。 思えば、無一文で始めた夢のみずうみ村事業。借金に次ぐ借金。よくも、お堅い銀行が、私のような、無宿風情の一介の作業療法士に、億単位の金を貸したものだ。いまさらながらに驚く。 経営感覚ゼロ。情熱だけの、作業療法士20年選手だった藤原茂に、なぜ、多額の金を貸したのだ!。53歳から73歳になる今年まで20年間。 書類に、我が、住所、氏名を、戸籍通り正確に書き、実印を何百回押したことか! 借りるほうも借りる方。貸すほうも貸す方。客観的に、情勢判断、経営判断する視点がなく、すてきな福祉、より良いリハビリテーション手段、そればかりを藤原茂は考えてきた。「おまえ! そんな金借りていいのか!」と、誰も私を止めるものはいなかった。 そもそも私は経済学部に入学はしたが中退だ。いや、卒業していたとしても、経営学部ではなかったから、経営センスは皆無である。福祉・リハビリの現場の充実発展。それしか考えてこなかった。そういう人間は、長期間、経営トップに居てはいけなかったのだ。 人生振り返ると、20代前半は、児童養護施設で早朝から深夜まで、休みなしの24時間施設住み込み指導員。それで大学は中退した。学校に行く時間よりこども達との現場の方が楽しかった。いろいろあって、33歳で作業療法士となり、精神科病院、老人病院、リハビリテーション病院と、作業療法士として、それぞれの現場で持っている英知を最大結集し工夫したリハビリテーションを展開した。 今、思い返しても、すてきなプログラムの数々だったと自画自賛したい。創意工夫は、当事者(患者さん)のためのリハビリ手段そのものの創出であったし、そこに経営感覚は不要であった。人を動かす感性は養われてきていたと思うが、金勘定には無縁であった。 48歳(1996年)、山口県で初めてのリハビリテーション学院の創設にかかわった。学科運営、学生指導は、むろん経営とは無関係であった。学校法人に雇用されている立場であり、経営は、事務サイドにその任に当たる方が配されていた。53歳になるまで、私は、教鞭を振るっていたので、ここでも経営の「け」の字も私の「み」にはついていなかった。 53歳。私は、それまでかかわってきた障がい者の方々、障がい児と親たち。彼らと、たまり場を作ろうと思い立った。その後の人生の始まりだ。 「NPO法人」「1円株式会社」という言葉が目の目に登場し、私は衝動的に走り出した。夢のみずうみ村村民税という発想。藤原茂得意の思いつき。すぐに、実行する軽薄さと実行力。困ったものなのだが、当の本人は良かれと思い、がむしゃらに突っ走った。 それから20年も過ぎた。どこを削り取っても、経営に対する無神経さ、無頓着さが付きまとい、結果として放漫経営。「責任を取って辞めろ!」といわれることなく、しかし、一緒に悩み苦しんでくれた数々の幹部、我が懐刀だと勝手に称していた重鎮スタッフたち。Mさん、Oさん、Hさん、Sさん。そのほかにも若手有望株の数人。その進言を私はしっかり自分自身に落とし込まずにひたすら前を向き走り続け、結果として無視していく経過をたどったのだ。 今日、幸い、不採算部門を整理でき、バトンタッチするべき機会と人物が身近に存在してくれていた。本当にありがたい。今後、私は、役職を降りるが相談役として、何か問われたり、呼ばれたりしたら、すぐに対応できるように構えておきたい。 老兵は消えゆくのみ。新しい経営陣がやりやすいように、表舞台には顔を出さない心掛けが肝要だと自分に言い聞かせようと思った。その決意の表し方として、「人生の現役認定」を行おうと思ってのことである。 人生の現役を続けるために、私の決意を示しておかねばなるまい。 今、生きがい、やりがいという視点が、自分の内面から消えていくことを恐れる。だから、私は、自分の人生の後半から始まった夢のみずうみ村事業を、ライフワークとして、我が人生にしっかりと織り込み、楽しく、面白く、深く、考えに考え、できうる最大の感性を働かせ、残存する能力、思いつき、思考の産物を、「夢のみずうみ村LIFE事業」というものにつぎ込んでいきたいと考え、毎日行動していこう、それが人生の現役の取るべき姿だ。 夢のみずうみ村LIFE事業とは、かつて、夢のみずうみ社でソフト開発してきた「リハビリテーション技法・介護技法・自立支援技法・自己選択自己決定技法」の集大成版である。 夢のみずうみ社では、システム開発してきた従来のソフトをどのように活用処理するかは、新体制で決まると思う。それはそれとして、私自身の生きざまとして人生の現役の仕事として、夢のみずうみ村LIFE事業をコツコツやり続けたいと考える。 藤原茂個人の人生、ライフワークとして、作業療法士になってリハビリ福祉に携わってきて学習してきたmonoを後世にまとめて残そうと決意したものである。私は、夢のみずうみ村という実践の現場を持ちながら自身の探求心、研究心、創意工夫のHOW・TOを実践してきたが、その延長線上で終活としてお迎えが来るまで、人生の現役として作業療法士の仕事をしたい。 特別なことをやろうというわけではない。現場から去った今、そしてこれから。私は、これまで、思いついていたこと、それなりにリハビリテーション手法として、福祉手法、自立支援・生活行為支援法として、いいなあ、これはいい、こうしたらもっと良くなるよ、うん、絶対こうしたらどう?、とやってきたものを、生きている限り世に残そう。そう思うようになってきただけだ。これらを、世に残すのは私の自由だとおもう。それらを、参考に使ってみるとか、やってみたいという吾人が出てきたらとか自由だ。勝手のおやりくださいというスタンスだ。 私が、今、残そうとしているのは、まったく個人的裁量であり、生きてきた証を残そうとしているものであり、社会に役立てほしいという意図はないと申しあがておきたい。 弱い人、障がいを持っている人も、それなりに生きている人も、生活に不便があり、難儀苦しみがある。自立したい、満足のいく楽しい暮らしをしたい、生きたい、幸せでいたい、などなどの思いをかなえる、処方、手立て、手段、方法はある。 どうもあるように思えたり思えなかったり。いや、ありますよ、絶対!と感じた夢のみずうみ村事業の20年間である。うん、必ずあるよ、今、退任してそう思う。だから、そのころの人生で、私が、感じたもの、感じたこと、残されている我が頭の中に無意識に潜んでいる、それら、et ceteraを、ほじくりだしたいのである。 ホームワークを主に、私は、昼夜を問わず、パソコンに向かって、頭の中をパソコン画面に打ち出している。ただ、パソコンに保存していくのだけはむなしいので、時折外部に表出し、生きている喜びを確認しながら、一段一段、時に段飛ばししながら、時間が過ぎていく。 人生、とりあえず、80歳までを人生の現役賞味期限とした。そのことを、少々長くなったが我がブログを使い証言した。身勝手をお許しくだされたし。
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