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23年末から24年始、早々の出来事

この、ブログを書き出したのは年末30日だった。いまこれを書いている今日、1月19日。やっと、公開できる。浦安、長久手、高浜と移動し、沖縄に向かう機内だ。明日は八王子だ。相変わらずの毎日である。  私は、書くことが好きだ。このブログは、私の生き様であり、私自身の内部、感性を知っていただくことにつながると思って書いてみようと覚悟していつも書く。私は、個性が強く、豪気に見えるかもしれない。身勝手で、自由奔放で、我がままで、いい加減・・・という印象を持たれる方も多いのではあるまいか。顔がああいう顔だし、声がでかいし、話すと自分の言いたいことを言いたくて止まらない。そういう点が誤解されるきっかけだと思う。私の血液型はA型である。私と付き合った方はそれに気づく。付き合いの浅い方は、「O型ですか」と聞かれ、事実を知って驚かれる型が実に多い。私はA型そのもの人間なのだ。自分で言うのは実に僭越だが、繊細なのだ。自分で言えば世話はない。誰にもわかってもらえないが、この歳になって、そんなことはどうでもいいと感じだした。自分で、自分にうまく付き合い始めたからだ。「自分」で、「まだ気づかない自分」に気付くことは面白く楽しい、感動ものである。62歳を過ぎ、63歳になるかどうかという頃から感じ始めた気がする。年を取ってしまったのだ。  自白の話は、これくらいにして、今回の話題、年末年始の話を書こう。   昨年末28日に、浦安デイサービスセンターの望年会(出席者28名)、浦安の、ホテルで行った。会の最中に、ディズニーランドで打ちあげた花火が見えたことが忘れられない出来事になった。29日は防府市で山口地区、防府地区の合同望年会。参加施設は、山口・防府デイサービスと3つの小規模多機能型施設、夢ハウス仁井令、夢ハウス湯田・夢ハウス丸山、および、就労支援事業所「夢結び」の職員と、社会福祉法人理事や評議員の方々で、総勢149名。多くのスタッフが、夢のみずうみ村づくりに参加しておられるという証である。恒例の5年勤続職員お表彰を壇上で行った。今、本部で活躍してくれているメンバーや、システム部の二人ほか、重鎮が目白押しだった。夢のみずうみ村の5年は、おそらく密度の濃い年月なのだと顔ぶれを見ながら感じた。永年勤続表彰ほど素敵な機会はない。何人になろうと、私は、「以下同文・・」ではなく、おひとりお一人に、全文を読み上げて、感謝状をお渡ししたい。今年もそう思った。   私はひねくれ者なので、正月を控えても、車の洗車、大掃除はあえてしない。元旦は、ここ3年、決まって本部事務所の個人の机の大掃除。元日恒例となった。1年間で最もゆっくりしている時間帯だ。自分のデスクの後ろの狭い空間に座り込む。部屋の暖房をつけ、背中からストーブ。山ほど積み重ねられた書類の整理。今年はビニール袋7個のごみ出し。何も元日にしなくてもといいではないか、声が聞こえる。普段は掃除をする意識が私にない。いや、前しか向いて走るしか意識していないのだろう、片づけようというちょっと立ち止まる時間を使わない性分なのだろう。昨年は元日と翌日の2日間かけた。今年は1日だけで終わった。それだけ、山口の本部デスクに座る機会が少なかった証だ。  子どものころから、「使ったら元に戻しなさい。ただそれだけのことがなぜできないか」と母からしばしば叱られた。夜中、寝付く前、母が、私の机の中を見て、ごちゃごちゃ整理ができていないものだから、すべての引き出しの中味を机の上にさらけ出し、それをきれいにすべて仕舞いきるまで寝るな、と叱られる。冬の寒い時などは、寝間着もはだけてぶるぶる震えた。容赦ない。父や祖母が、明日でもいいではないか、朝でもいいではないかと一声かけてくれるが母の一声は絶対的だ。随分とこの机の整理はやらされた。其れなのに、この歳になっても一向に整理できない性分は治らない。「教育とは、本人が内面化して、自ら気づかない限り、いかなる働きかけも意味をなさない」。実体験からの定見である。一向にこの歳になるまで改善していないのだから。しかし、さすがに、この歳になると、意識が整理整頓に向くことが起きる。今年も、去年の元日からぴったり1年たっての整理整頓、清掃だ。 申し訳ないが、周囲は散らかし放題だ。だから、他のスタッフよりやや多めの空間を占拠している。おまけに浦安にも、初めて、理事長室という名の個室ができている。そこの整理はしないまま、山口に戻ってきた。あの部屋はいつするのだろう、少しずつ散らかってきた。情けない性分だ。  年末は、年賀状書きで丸1日必要。掃除で1日。それ以外に、毎年恒例となった「おせちづくり」がある。31日に、小規模多機能型施設夢ハウスのお節料理づくりと、年越しそばづくりに出向く。今年からは、仁井令(にいりょう)をはじめとして、湯田、丸山の3か所があるのだ。一つずつ回っていたら時間が足らない。今年は、小規模多機能型施設「夢ハウス湯田」で年越しされる利用者さんはお一人だという。31日は日中3人通所しておられるので、恒例の寒ブリ1本を持ち込んだ。                 今年は、萩市沖合の天然ブリ、6800円(安い!!)を3本買って、その1本を持ち込んだ。おそらく「夢のみずうみ村のホームページ」の「職員のブログ」で、写真入りで誰かがその模様を報告するだろう。それだけ今年も感動的だった。魚を、まな板に広げた時の驚きの眼。さばいている最中もじっと見つめる眼。刺身を切って並べた大皿に手が伸びる。それがすごい。手が動くのだ。食べてお代りに手が伸びる。「うまい」とあちこち声がする。 (これを書いたのは正月早々だったと思うが、今日は1月18日。職員ブログをアクセスして見た。やはり、ぶりが写真に写っている。しっかり、調理経過も載っている。利用者さんが喜んでくださるのもうれしいが、職員に感動してもらえるのも実に嬉しい。やめられない年末行事である)  午後からは、新しくできた小規模多機能型施設夢ハウス「丸山」に「仁井令」のお年寄りに集合していただき、そば打ちをした。年越しそばを作る役割がいつのころからだろう、藤原の仕事になっていた。そう思っているのは私だけでもいい。勝手に作っていた。ところが今年は、そば粉を買ってきて、みなさんで打って食べようということにした。  まな板、のばし棒も買い揃え、いざ、夢ハウス丸山へ。すでに、7人くらいのお年寄りがテーブルに座って居られた。ボールにそば粉を入れ、水を足し、手に粉がべとべとくっついても、とにかく、こねる、こねる。ワイワイガヤガヤ。若いスタッフのほうが喜んでいる。いや、利用者さんも、「どうする?」「手にくっついた」「肩が痛いよ」「もういい?」などなど言葉がいっぱい出てくる。参加されない方は一人もない。皆さんが「そばコネ」をされた。さあ、板の上に、打ち粉をして、こねた「そば」をさらにこねるぞー。  「粉引(木挽き)歌ってあるでしょ?」 木を切るだけじゃあなく、粉をこねる時も、歌を歌った方がいいソバができるのですよ」 勝手なことを私が言い、大好きな「刈り干し切り唄」を唐突に歌い始めた。歌いたい気分になってしまったのだ。ゆったりとしたメロディーを、大声で歌いだしたが、場の雰囲気に全くなじまないと直感。始めたから、メンツにかけてやめるわけにはいかない。宮崎の民謡で、夕方の畑仕事を終えた農夫が、駒(労働馬)にさあ帰ろうかという歌詞だ。  (1)ここの山の 刈り干しゃあ― すんだョ-    あとは 田んぼで 稲刈ろうかョー  (2)もはや 日暮れじゃあぞーい 田のクロ道をョー    駒よ いぬるぞー  馬草おえよー  これまでの人生で、自分自身が薄暗く淋しい時や、くたびれた時に、自然と口ずさんできた愛唱歌である。修学旅行で、素敵なバスガイドさんから習った。以来、この歳まで、何か落ち込んで回復しかける頃か、回復のきっかけかになるような場面で、ふと口ずさんでいる。情けないジメジメ男なのだ。  しかし、今回は、粉引ということで、メロディーではなく、文字から連想して歌おうと感じたのだろう。歌ってしまっていた。「粉ひき」に合うはずがないスローな歌。しかし、突然、私が歌いだしたものだから、スタッフがまず驚いた。利用者さんは無反応だったと思うが定かでない。しかし、歌いだしたからには、2番までしっかり歌った。次に何を歌おうか、何か次に歌わないとしらけるぞー。「刈り干し切り唄」の終わりごろから頭で考えていた。「景気のいい歌がいい。それしかないだろう藤原君!」。自分に気合を入れた。 「まつしーまーの サアよー 瑞巌寺…」。大漁節だ。 利用者さんが、私の「エンヤートッと、エンヤートッと」の大声につられて、口から声が出始める。こうなれば私の得意とするところだ。歌いながら、そばをたたいたり、持ち上げて、まな板にぶつけてリズムをとった。  ついで「ソーラン節」。結構、みなさんが歌い始められた。職員も声が出始めた。しめた。  私は益々調子に乗った。  「月が- でたでーたー 月がァ でたー よいよい」 「炭坑節」ほど、日本人に知られた歌はない。若いスタッフも、それまで、全く口を開かれなかった男性Aさんも、声が出るのだ。しめた、しめた。いいぞ、いいぞ。  こうして、まな板に、そばをバンバン打ち付けたり、手でたたいたり、見事なソバ打ちとなった。利用者さんと、久しぶりに感動を分け合えたことが素晴らしい。それ以上に、普段、かかわりが持ちにくかった小規模多機能型施設のスタッフと、利用者さんを介して関わりを持てたことも嬉しかった。無論、年越しそばは実にうまかった。  これまで乃年越し蕎麦は、だし汁にこだわり、揚げたての「ゴボウ天そば」にしたくてこだわってきた。これからは、年越しそばを作ることより、蕎麦そのものを作る「そば打ち」が、毎年の恒例行事になるぞと確信した。

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