藤原茂プロフィール
1948年山口県萩市生まれ 作業療法士 NPO法人夢の湖舎理事、株式会社夢のみずうみ社相談役、琉球リハビリテーション学院長、日本作業療法士連盟相談役
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日別アーカイブ: 2012年2月23日
1+1-4は-2
写真を撮る際に カメラマンが叫ぶ 「イチ(1)たすイチ(1)は?」と。撮られる側は、一斉に「ニー(2)!」と答える。いつごろからはじまった口上のだろう。「ニー(2)」と答える口元が、かわいらしいとか、愛らしい顔立ちになるとか、いろいろ聞いた。硬い表情が崩れることは実に素敵なことだ。 ちょっと話は変わるが、昨日から、明日まで、第4回上田法多職種認定講習会を浦安デイサービスセンターで開催している。その最中の昨日の朝、甥っ子で、脳性麻痺の平井裕太が亡くなった。重度ではあったが、母親(義理の妹)がしっかり訓練してきたおかげで、長生きをしてくれたと私は感謝している。ずいぶん、訓練した。ボバース法、ボイタ法、そして、私が上田法のインストラクターになってからは、上田法の訓練をしてきた。無念にも亡くなった父親(義弟)に裕太は似ていて、遊具を手で触ってにっこりしてくれた顔を私はいつも思い出す。ひげ面になっても、あの顔が私の頭から離れない。なぜなら、日本作業療法士協会が編集した「脳性麻痺」というビデオに、裕太が写っていて、それを授業で使って見るたびに、幼い裕太がよみがえってくる経験を重ねたからだろうと思っている。裕太がなくなっても講習会を主催する私は、明日の閉講式が終わる迄身動きできない。お通夜に参列できそうだ。 全く、無関係のような裕太の話かもしれないが、この講習会の中で、思わぬ出来事が偶然、ふと私の口から洩れた。それは、上田法講習会参加者の集合写真を恒例により、表玄関前で撮影する際の話だ。夢のみずうみ村の職員、井上君がカメラマン役で、「はいチーズ」と言ってシャッターを切った。その瞬間は何も思わなかった。いつも通り、誰かれとなく、そう大きくもない声で「ニー(2)」と答えた。 その後、施設内の部屋に戻って、グループ別の集合写真を上田法国際インストラクターの水上君がとり始めた。彼が「1+1は?」と、メンバー全員に尋ねる。一同、「2」と答える。さて、次のグループに移って写真を取ろうとした彼の姿を見ていた私の口から、なんということか自然に言葉が漏れた。 「イチ(1) 足す イチ(1) 引く ヨン(4)は?」 一同が 「マイナス ニー(2)」と答える。 素晴らしい。「ニー」と返事しているのだ。ただし、その前に、マイナスをつけている。それが却って、口の動きを滑らかにしていいのではないかと思った。 単純に「1+1は?」「2」で答えるのとどこが違うのだろう。 私は今、ここに、メールを残しておこう。「1+1-4は?」という、写真を写る際の掛け声を発祥させたと宣言したいと思い、ここに書き記す。裕太が亡くなったからだ。裕太が亡くなった記念に私は、これを日本中に広まることを願いたい。広めてほしい。裕太がどういう人間で、どういう生きざまをしたが誰も知らなくていい。ただ、「1+1-4」は 裕太の亡くなった日の翌日に生まれた。裕太の死をしっかり、自分のものとしておきたいがゆえに、叔父の私は、このメールをしたためた。 いつの日か、日本どこかで、いや、どこでも、「1+1―4は?」「マイナス2」が広がっていくこととを信じている。裕太の生きてきたこと、亡くなったメモリアルとして、「1+1―4は?」「マイナス2」をこのブログに記しておきたい。このフレーズは、平井裕太と藤原茂の合作である。
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