藤原茂プロフィール
1948年山口県萩市生まれ 作業療法士 NPO法人夢の湖舎理事、株式会社夢のみずうみ社相談役、琉球リハビリテーション学院長、日本作業療法士連盟相談役
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日別アーカイブ: 2012年4月14日
東日本アクティヴィティーセンター構想
未曾有の大震災によって、東北の大地や海原は、未来永劫、生きている意味を人々に問いかける貴重な地域となった。日本人は、震災地東日本の風土に触れることによって「生きている意味」を学ぶことができる。生きている意味に気付き、生きていることへの感謝の念を抱くこともできる。今後、亡くなられた多数の人命を鎮魂するという営み(Activity)を通して、命あるものが「生きていること」「命あること」に気付き、感謝する風土を東日本、東北の地に創生したい。 生きている意味を見失い、苦しみ悩む人々が、この東北地方の風土に触れ、各地を歩き、様々なActivity(作業)をすることを通して、自らの命を再生させることができるのではないかと考える。震災前から、東日本は素晴らしい観光地であった。そこに、多くの人命(魂)が眠っている。東日本各地を訪ねて、自らの生きている意味を問い、各地で様々なACTIVITY(作業をする)旅を、新しい「巡礼」ととらえたい。 私たちは、この東日本の震災地の風景に触れるにつけ、「命」「生きていること」を思い偲ぶ。命ある自分、生きている自分を感謝する気持ちを味わう。東北の地は、まさにこうした生きていることを知り味わう場所である。東北地方のそこかしこを訪ねながら、生きていることを感じ感謝する営みは貴重である。四国各地をお遍路さんが巡礼するように、東北各地を巡礼し、奪われた命の鎮魂を願う作業(Activity)をすることによって自分自身の生きていくエネルギーを再生産したい。 1)サポートセンター機能 ① 通所機能(宅配機能を明確にする) 仮設住宅等から、日帰りで出かけてきて、施設で作業し「土産」を持ち帰る a.生活の仕方を学習して持ち帰る 更衣・入浴・排泄・食事・移動・爪切り・整容、美容 b.家庭で使うものを作って持ち帰る 陶芸 木工 ガラス細工 機織り 組みひも 料理 パン c.新しい生活技能を持ち帰る パソコン操作・調理方法(レシピ)・設計(CAD)操作・網づくり d.家に持ち帰るサービス クリーニング(洗濯物を持ってきて、クリーニングして持ち帰る) 園芸苗づくり(家に苗を持ち帰り育てる) e.自信を持ち帰る 「こんなことまでできるようになった」という自分をお持ち帰り ② 宅配ビリテーション a.生活コツ者の養成 * 健康高齢者・一般成人を、生活技能支援者として仕立てる * 障がい者、障がい高齢者を通所施設で生活コツ者に仕立てる b.生活コツ者による仮設住宅(在宅)訪問支援 * 仮設住宅(在宅者)において、支援が必要な方の訪問支援 * 訪問先で作って食べる支援 * 仮設住宅での入浴困難者に対する支援 ③ ナイトデイ機能(PM6時から夜10時まで) a. 作って夜食を食べる b. 軽く飲んで、「青春のたまり場」で歌声喫茶 c. 一風呂浴びて休んで帰る ④ 就労支援事業 a.養鶏(自然卵づくり) b.定置網づくり(漁業者との連携) ⑤ エルダー旅籠(年老いたなと思った方の宿泊所) a.全国から、短期宿泊して、活動支援者を養成する人物招聘事業 b.第1期「巡礼札所づくり」を行う人材の有料宿泊機能 c.「つらい人・苦しい人は、泣きにおいで活動」希望者の宿泊所(1番札所) ⑥ アクティビチィーセンターの運営 巡礼札所Activity(様々なプログラムを実施。将来的には札所として独立) 土着する鎮魂アクティヴィティーを発掘する (1) 短歌・俳句・川柳 … 続きを読む
カテゴリー: その他
石巻に夢のみずうみ村はできないか
仙台から車で石巻に入った。テレビで見知っていたつもりだが、そんなものは吹っ飛んだ。 河川敷に緑がない。雑草も生えていない。一年もたっているのに。異様な平原。何もない。住宅がみえた。柱が残っているが、がらんどう。 海水につかっている家もある。壊れた残骸の木材等の山、つぶれた車の山並み。 高台の山に登る。かやぶきを主とした重要文化財等屋根工事一式を請け負う有限会社「熊谷産業」の社長、熊谷秋雄さんが作ったかやぶき高齢者住宅の脇から海を眺める。晴れやかなきらきら光る海だ。「向こうが、南三陸町です」と案内していただいた。 きれいなリアス式海岸にしか見えない。 「何もかも、なくなったのですよ、南三陸町」と熊谷氏。 生きている命。埋もれている命。見えなくなった命。東北の地、石巻は、私にとって、生きていく、命を考える原点になった。 家々を回っている間に時間が過ぎ、夕陽がさしてきた。実にきれいな夕日が、海の中に立っている家屋敷の屋根を照らすのだ。 なんという悲しい風景なんだろうか。涙が止まらない。きれいな夕日は、むごい風景を照らしだす。 命が眠っている、生きている。感傷的になるまい、いかん、いかん、眺めているだけではいけない。何をするのだお前、自分よ。 問いかけ続けて、廃墟の道路を歩く。車で過ぎる。 大川小学校の前に立つ。言葉がない。崩れた校舎はあっても生徒はいない、先生もいない。 全校児童108名の内74名が死亡、教職員13人の内10名が行方不明。東日本大震災で最多の犠牲者が出た学校。 建物の外枠はあるが学校がない。すぐ裏手に山があるのに、地震の時には避難所と指定されていた学校。 まさかここまでは来ないとみんなが思っていた悲劇。津波はここの先まで あっという間に来た。言葉がない。 小さな鐘があって、祭壇があり花が手向けられている。 鐘を、一緒に仙台から車で走った友人の寄田君が打った。音が響く。辛く重い音色だ。 悲しいというか悔しいというか無力、無念、…。我が子がここにいたら、私がここに勤務していたら…。私は、今ここにいただろうか。 ご父兄が毎日見えて花は絶えないようだ。「お菓子類をおかないでください」「花は持って帰って下さい」とある。 一方的な感傷や思いだけでは、かえって、被害者に迷惑をかけてしまう。私が自分の力でできることは何か。 夢のみずうみ村で職員諸君と一緒になってできることは何か。命の重み。それに耐えて生きておられる家族。 この「お菓子類をおかないでください」「花は持って帰って下さい」の小さな書き物が私を揺らす。 泣いてどうなるものでは全くないが、遠くの、溢れた北上川を見て涙。すぐ裏手の山、ここにどうして避難できなかったのだろうと涙。 まだ、見つかっていない我が子を探して父親が毎日周辺を探索しておられると聞いて涙。 どれだけ泣いても命がそこにはない。何かしたい。何ができるだろう。 夢のみずうみ村を、対岸の山の中腹に作らないかという話で石巻に来たのだった。 わたしにできることはなんだろうか。 「すまないねえ、ここに我が子の命があるのだよ」という子どもの父親の思いを共有する。 河が地盤沈下し、従来より北上川の河川敷が1.5倍以上に大きくなっている。河が大きくなって、家屋を流し、今も流れている。 大川小学校の対岸に、2.5メートルくらいだろうか、大きな石のお地蔵さんが目に入った。そばに行く。 友人の寄田君曰く。「津波で流されなかったお地蔵さんだよ。津波の勢いで、台座の上で半回転された」という。 お地蔵さんの向いている方向が座ったままぐるりと半周したらしい。大きい石の地蔵さんだ。 津波の勢いに屈せず、流されず、ただ座っている向きを変えて前と同じ台座の上に鎮座しておられる。思わず拝んでいた。 できれば、この地に夢のみずうみ村を作りたい。お地蔵さんのそばに創りたい。小学校6年生の時、初めて知った「アメニモマケズ」の詩が出てきた。 私の宮沢賢治が出てきた。自分が福祉の道に進むきっかけの一つになったことを、ここにきて深く強く思い出す。「ヒガシニ ニシニ ミナミニ キタニ 」行くことを決めたあの小学校時代の私の宮沢賢治だ。それが全身に湧いて出てきた。この地はそういう力があるのだと実感する。ここで私は自分の原点を見つけたい。 他の人から少し離れ、住宅が流され、レンコン畑を想像させるような川べりで「アメニモマケズ」をつぶやく。涙。自分は何者ぞ。何を為すのか。 いろいろこれまで東日本の震災に対して夢のみずうみ村はどうするかスタッフと話し合い、何もできないから募金だけはまずスタッフの総意でさせて頂いた。 厚労省からアクティビチィーセンターの相談があったから提案書を書いた。別掲、「東日本アクティビティーセンター構想」を参照頂きたい。 「さわやか財団」の呼び掛けに応じて、職員2名(宮本君、白木君)に大船渡市に出向いてもらった。 援助をするにも、事業のお手伝いをするにも、現地の方の意向が主体であって、第三者が、のこのこ出向いていっても かえって迷惑と進言されていた。 「待ってください。中を取り持ちます。どこから手を付けていったらいいか考えましょう」という話を頂き、ずっと待っていた。勝手にふるまうものでなく、現地の方々の意向が起点にならないといけない、その通りだと思っていた。しかし、もはや待てない。1年過ぎたから。 … 続きを読む
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