恐山に向かっています

恐山66Kの標識を通過しました。陸奥湾の一角でしょうか。浅虫水族館から1時間たったのでトイレ休憩方々、海辺で休憩。子どもたちは早速海岸べりまで、駐車場の高台から海岸に続く階段を一気に下りて行きました。ひなたちゃんが、一番先に降りて、靴下を脱ぐ、さっと海の中に入りました。続いてみんなが波打ち際に。高台から、遠く夏泊と、下北半島先端を眺める。穏やかだ、今日は。すぐ下で海と戯れる子どもたちを見ながら、思う。私たちは、この子たちに日本の未来を託すんだ。必ず、夢ハウスのこの子たちは、将来の日本を担う貴重な人材になるはずだという確信満ちた感覚がジワーッとわいてきた。そのために、もっと寄付金を集めなくてはいけないなと覚悟しながら、子どもたちを見ている。吉山、横澤両名のスタッフともども、神々しい。涙があふれてくるのです。かつて、児童養護施設の指導員として定員65名の2歳から18歳の子供たちの面倒を見させていただいていた児童指導員時代。一生懸命に働いてはいたが、若気の至り、今から思うといい指導員ではなかった。ただがむしゃらに子どもたちに接していただけのものだった。今は違うなあ。この子たちの将来に期待しながら今の一人一人を見ている私がいる。僕は、この子たちの力になりたいと決意したことをこの場でも再確認したいと思った。恐山霊場まで54Kの地点を車は通過。海沿いの道を、左右。小さな松や雑木で囲まれた道を、走る。千と千尋の神隠しのDVDを見ながら。車窓の景色など見てはいないが、子どもたちが乗ったマイクロは恐山近くの今日の宿までスムースに走る。

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下北半島へ子どもたちと

いま、東北自動車道を走っています。運転手は宮本史郎君(現、首都圏事業部長)。山口デイサービスセンターのマイクロバスを、大槌の子ども夢ハウスまで持ってきて、子どもたちを乗せ、2泊3日のお泊り旅行に来ている。行先は、浅虫水族館、恐山、三沢航空館をめぐる予定。私はといえば、4日前、皆さんと夢のみずうみ村旅行で、香港を3日観光し、羽田国際空港に戻ってきて浦安デイのスタッフにバトンタッチして浦安の皆さんと空港でお別れし、国内線に移動し、山口宇部空港にもどり、山口で一日所用をこなして、羽田、東京駅、東北新幹線で北上駅前のビジネスホテルと移動。まさに現代が山頭火という流浪(?)。今朝五時起きで、宮本君の運転するマイクロにホテル前で合流し、子どもたちの待つ夢ハウスへ。みんなと一緒にいざ、下北半島に向け出発。天気予報は、雨のち曇り。今日は、浅虫水族館が中心だから、雨が降っても何とかなるかと思っていたら、晴れ男藤原。暑いほどの晴天となった。実は、香港も50%雨予報であったのに、滞在3日とも晴天。本当に私は晴れを呼べる男だ、間違いない。
 さて、車は高速を降り、リンゴ畑ばかりの間を縫いながら、半島先端方面だ。右に行けば、夏泊、浅虫温泉、左は、三内丸山遺跡という交差点に来ている。右折した。マイクロバスの中は、1時間半以上前からルパン三世のDVDがかかってにぎやか。今朝北上の気温14度。2日前の香港32度。昨日のやまぐち28度。寒いのです。 はいはい、浅虫温泉まであと8キロです。ここでパソコン中断します。

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北へ帰ろう

仙台駅のホームに立って「やまびこ号」新花巻行きを待っている。思わず口から出てきた演歌。徳久光司の「北へ帰ろう」。歌うたびに、涙なしには歌えなかった、この歌。ついこの間までの自分。今日は、淡々とホームの支柱にもたれ、新幹線を待ちながら一人口ずさんでいる。本当に「北へ帰る」のだ。東京駅で仙台行きの切符を買った。これまでなら、右側の東海道山陽新幹線の改札口方向に向かうのが普通であった人生が、左側の東北山形新幹線改札口方向に自然に足が向かう自分がいる。北へ私は行くのではない、帰るのだ。 今日は、仙台で途中下車し、明日、誕生会の祝いをする,大槌子ども夢ハウスの男の子、悠人君と夏君のプレゼントを買うのだ。PARCOによって、希望のサッカーリュックサックを買った。ほかに、ベルギーのチョコレートと別の店で、しゃれた飴も買い、例のごとく土産いっぱいぶら下げて、くそじじい(夢ハウスの子供たちは私をかつてはそう呼んでいたが、今は、クッソーと呼ばれている)、その「クッソー」、いつも、土産いっぱいぶら下げて大槌に帰るのだ。おおつちを出るとき、子どもたちとは「出稼ぎに行ってくるよ!」「いってらっしゃい」でおくられ、こうして出稼ぎから帰る。千昌夫の歌う「津軽平野」の歌詞同様の私。「♪おやじは帰る。土産いっぱいぶら下げてよ♪」。

西で生まれ育った私は、新幹線「こだま」「ひかり」がなじみ深い。今の私は、「やまびこ」「はやぶさ」に違和感がなくなり、こうして、仙台から新花巻まで乗っている。間もなく列車は、一関あたりを過ぎるころか。東北の農地が車窓に走る。「アメニモマケズ」が必ず口からついて出てくる。西とは違う田園風景に触れるからだ。「ノハラノ   マツノハヤシノカゲノ チイサナ カヤブキノ コヤニイテ」という防風林に囲まれた農家、農地、東北がそこにあるのだ。私には、東北の貴重な思い出話がある。20代初め、親の気持ちに反して福祉現場に住み込んで大学に通い始めた私は親から勘当。大学の授業料を払うために、夜間のパン屋でのバイト(埼玉県川口市)。そこで、深夜の休憩時に、私の指導をしてくれた人物がある。中学校を卒業し集団就職でこのパン屋に就職。東北(どこかは聞かなかった)からやってきた年下のAさん。私のアルバイトの指導者なのだ。彼は8万円の給料を得ていたがそのうちの6万を家に仕送りしているという。私はといえば、私学で小中高と大学まで出してもらっている。それで、勘当されたので自分で授業料を稼ぐんだと豪語している自分。Aさんとのギャップ。「みんな出稼ぎに出るのです。うちが貧乏だから当たり前。郷里の兄弟のために、親に仕送りします。僕の周りのどこのうちでも皆やっている長男の役目です」淡々と語るAさん。甘い私。なんという東北の現実と、この青年(少年、という感じであったが、たぶん16歳、17歳だろう)の存在感のすごさ。頭をたたかれたというか、自分の未熟さを痛感。今でも恥ずかしさとともに思い出されるのである。その東北の北の地に、また今日も帰っていく私。

作詞・作曲 徳久光司  「北へ帰ろう」

1. 北へ帰ろう 思い出抱いて  北へ帰ろう 星降る夜に

愛しき人よ 別れても 心は一つ離れまい

2. 北へ帰ろう 思いを残し  北へ帰ろう 誰にも告げず

夜露を踏めば ほろほろと  あふれる涙 とめどなく

3. 北へ帰ろう 涙を捨てに  北へ帰ろう 星降る夜に

みとせの夢よ わが恋よ  君くれないの くちびるよ

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生きております 

やっと、ブログを書く。2013年5月17日以来 更新してこなかった。この間 私の24時間はすべて仕事で、いや、夢のみずうみ村がらみの生活であって、ますます本当に忙しくなった。以前も決して忙しくなかったわけではないが、これほどではなかった。とにかく忙しい。地に足がついていない感ありで苦労する。

生きていないのでは・・・ 入院しているのでは・・・といった憶測があったようであるが全く異なる。本当に忙しい。ただそれだけだ。移動中にこのブログを書くことに決めているが、その移動中にやることが目白押し。ブログどころではなかった。

今、PM8時30分東京発岡山行き最終便の車中である。ゆっくりこれを書いているが眠くなった。23時57分岡山着だそうだ。どうしても明日の講演会を遅らせるわけにはいかない。無理をするなと多くの友人知己にたしなまれるが 無理ではない しなければならないことに押されているのだ。眠くなってきた。名古屋を過ぎて間もなく京都だ。 生きてまっせ、という合図に このメールを掲載しよう。実に味気ない文章だが ご勘弁を。

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募金箱と新しいチラシの配布先募集

新しい写真入りチラシを5万枚用意いたしました。募金箱もできました。防府デイサービスの利用者さん(梅森さん、中山さん)が、木製の素敵な募金箱を作ってくださいました。この募金箱とチラシを全国に配りたいと思います。募金活動をしてくださる、団体、個人の方を募集いたしております。
夢のみずうみ村山口デイ(0839-95-2820)まで お電話を賜れば、すぐに、お手元にお届けいたします。
 4月11日に開始させていただいて、現在1200万円余の募金状況です。本当にありがたい限りです。お一人お一人にお礼申し上げなければいけないのですが、事務局からお礼状を出させていただいてそれで済ませている現状で、大変心苦しく思っております。申し訳ございません。この場におきましても御礼とお詫びを申し述べさせていただきます。
毎月、「子ども夢ハウスおおつち」ホームページをご覧いただきますとありがたいです。活動実績のご報告といった感じで、こまめに報告させていただくよう心がけます。ぜひアクセスをお願い申し上げます

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子ども夢ハウスおおつち開所式 

今日、4月11日 子ども夢ハウス大槌が始まりました。

笹原留似子さん、桜の菊池さん、開設準備室長の吉山君、首都圏統合施設長の宮本君、そして私。
岩手日報と河北新聞の二人に記者さん。
式典は、式典でなく、「ことはじめ」という様相です。まず、笹原留似子さんによる、「看板書き」。「子ども夢ハウスおおつち」と、下書きもせず、一気に書き上げてしまいました。さすがですね。しかも、夢の一文字が大きいのです。それがまた実に素敵。

 

記念植樹で、姫リンゴを木樽に埋め変えました。笹原さんが木をポットから取り出し、樽に置き、吉山、藤原の二人で植え込みました。
 姫リンゴの木にしたのは 、子ども(小さな実)でも叱り戯れて、たくさん木に張り付くさまが、わがハウスの近い将来に似ていると感じたからです。多くの子どもたちが勝手にむしりとって食べてくれるといいですね。


その後、玄関の浄め 道路入口まで 笹原さん 吉山君がお浄め

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山口から 浦安から 大槌に入る

子ども夢ハウス原風景です。何十年か先に、この風景が変わり、現在の7LDKのこども夢ハウス大槌は隣の畑にも何かが立ち、「へえーっ! 〇年前は、こんな殺風景だったんだあ!」という声がするかもしれません。素敵な場所に、子ども夢ハウスは根を下ろしました。

玄関です。この玄関に 多くの方々が出入りして 生きる力を取り戻してくださるといいですね。さりげない、ただの玄関だけど、この玄関を、ひたすら頼りに、駆け込んでくれる子どもが一人でもいてくれることを願わずにおれません。

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子ども夢ハウスおおつち入口です

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こども夢ハウスおおつちが 動き出した

 悩んでいる子どもがいれば、すぐに飛び込んでこられる家を用意したい。話を聴いてあげることくらいしかできないが、しっかり受け止めてあげたい。せめて温かいスープ一杯飲んでほしい。そういう家を大槌町につくりました。
 津波で流されずに残っていた、高台の7LDKの貴重な建物二階建てを借り受けることができました。そこで、「子ども夢ハウスおおつち」を開設します。
  住所は、 岩手県上閉伊郡大槌町安渡二丁目250番地16 です。
 4月8日に山口で買い物をし、いずれ大槌で送迎車となるボディーに「夢」のマークがでかでかと描かれた、「夢車」2台に積み込み、第一号のおおつち職員になる吉山君と、首都圏総合施設長の宮本君が、途中、浅草かっぱ橋で、私も合流して調理道具を買って積み込み、大槌に入ります。子ども夢ハウス大槌の看板を5月11には入口に掲げます。
  募金活動を拡げたいです。たくさんの方々に、この運動を拡げて頂きたいです。よろしくお願いします

  募金問い合わせ先    〒753-0801 山口市中尾787-1 
                  夢のみずうみ村山口デイサービスセンター 
                  TEL(083-995-2820) FAX (083-995-2825)
                  アドレス  yume@yumenomizuumi.com

<<募金の方法>> ゆうちょ銀行の振替口座へ払込みをお願いいたします。

口座記号番号 01300-4-102234
口座名称(漢字) 夢のみずうみ村 夢ハウスおおつち基金
口座名称(カナ) ユメノミズウミムラ ユメハウスオオツチキキン

<<他行から振込の場合>>
  (銀行名) ゆうちょ銀行 ( 支店名)  一三九店(イチサンキュウテン)
(預金種目)   当座  口座番号 0102234
  (口座名称) (漢字) 夢のみずうみ村 夢ハウスおおつち基金
                                                       以上

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「センチメント人間」と「センチメートル人間」

実に久しぶりにブログを書く。書き始めの大1回目は関西空港から那覇に移動する機内。二回目の今日は盛岡、仙台、浦安を経由して山口に戻る機内。最近は、毎日寝場所が異なる。全国研修の真最中。朝から晩までしゃべり続け、移動して、一寝入りしてまたしゃべる繰り返し。12月から3ヶ月間もこうした暮らしをしていると、芸人ではないかと錯覚に襲われる。何を本当にしているのだろうか。
 おもかげ復元師の笹原留似子さんに出会ったことがすべての始まりである。彼女に会わなかったら、私は大槌を知らなかった。命を自ら絶つ子ども、仮設住宅で認知症が進む高齢者の事実。私の心が走った。厳しい現実の数。できることを始めたいという衝動である。するべき課題は、地元山口や、首都圏においてもたくさんある。7月から世田谷で夢のみずうみ村が始まる。「なぜ?大槌に?!」という声が内外から私の耳に入る。私自身が、ただそうしたいという気持ちを抑えられないだけである200余名も職員を抱える経営者としてはそれはまずいと周囲の英知が進言してくれる。そんな中で大槌の事業を開始することに決めた。より厳しい現実があるだろうが、何が正解で、本来どうしたらいいのか誰もわかるまい。ただ、そうしたい、そうすべきだと思ったのである。そこで、開始することにしたのが「1億円募金」である。
 私は、夢のみずうみ村の事業を展開する際に事前に情報収集やマーケッティングや、知識を収集し、緻密に計算して事業を推進するタイプでは全くない。直感的、直情的、情動的で経営者としてはおそらく向いていない。前者の尺度を持つ人間をセンチメートル人間と呼び、後者の尺度をセンチメンタル人間と呼ぼうと思い立った。そのことを、琉球リハビリテーション学院卒業式の壇上で学院長あいさつの中で語ろうとした。言語的に意味が通じるかと広辞苑で調べたら、センチメンタル人間は単に感傷的人間という意味合いであり、どうも私の真意と違う。「センチメント」という言葉があり、気持ち、気分、情緒と訳されている。そうだ、私は、この気分、情緒を人間の尺度としたいと感じたのだ。そこで、「センチメートル人間」ではなく「センチメント人間」と造語。
 卒業生には、計算づくで人生を歩くな、自分自身の気持ち、意思、情緒を重視した生き方をしろと話した。
 まさに、それは、この「子ども夢ハウスおおつち」建設募金を開始しようとしたことに全く連動している。理屈ではない、計算づくではない、気持ち優先でいいと信じているのだ。 「トップがそれでいいのか!」の声には「結果でこたえたい!!」と、応じておきたい。 
 3・11 東日本の大震災・大津波から2年たっても、大槌は一面サラ地である。町役場(旧小学校)前に72坪の土地を借りた。そこでスープ屋を開始するつもりで、先週も講演会の合間に北上から釜石、大槌と車で入った。不動産屋の家子さんのプレハブの店が役場前にあり、その隣である。プレハブ6棟を連結する話をしていったん帰ってきたその3日後。相談した大槌町の都市計画課から電話が入った。新規に仮設であれ立ててはいけないというのだ。土盛り計画が始まるからだという。地元では、そうした計画がすぐさま実行されないという感触だと言われて、土地の契約までは勧めたのだが、厳しい話になった。
何か、手探りで地元とのつながりをつけたい一心で借地したのであるがどうもうまくいかない。もう一軒、7LDKの一軒家を「家子不動産」から紹介して頂けた。高台に残った家子さんの物件だそうで、中は改装されている。直感が働いた。1階を「夢のみずうみ村おおつち」で高齢者が出入りされ、2階を、いつでも子どもがやって来られる場所にしよう。職員の吉山君に4月から常駐してもらう。大槌ではすでに2人のスタッフ候補が見つかってもいる。きちんと給料が払える体制を早く作りたい。
こうしていた矢先に、大槌町都市計画課から、72坪の市役所前の借地は、すぐに土盛りして再建する計画実施なので、計画を控えてくれとの要請が来た。致し方ない。町の再建復興計画に従うまで。そこで、7LDKの借家を即決した。とっかかりをつくりたいからだ。1億円という途方もない金額を集めながら、スピーディーに事業を具体的に進めたい。走りながら考えるセンチメント人間の真骨頂を見せたい。1億円という募金活動は、途方もないことには全く思えない。走るんだ、ただひたむきに前を見て走るのだ。センチメント人間よ、力を貸してと大声を出しながら走るんだ。

 このブログをご覧いただいている皆さん。輪を広げる働きに力を貸して頂けませんか。ご寄附を募ることが最終目的ですが、手段としては、まず広報活動です。この運動をできるだけ多くの方々に紹介していただけませんか。紹介の輪を何重にも広げていくことこそ、求められる運動です。センチメント人間を増やそうではありませんか。

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